ノート:番所大滝

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「番所」をどう読むか[編集]

「番所」をどう読むかについての私の記載は、攻撃を受けています。立項時に、私は「印刷物・道路標識などでも“ばんどころ”と表記することが増えている。しかし、本来の名称は“ばんどこ”である。ここでは“ばんどこ”を採用した」と書きました。その後、「本来の名称は“ばんどこ”である」ことへの出典を求められ、3つの文献を示したのです。しかし、13年2月16日に、「そのようにルビが振ってあるだけでは正しいと言い切れない・・・読みが複数ある場合(のウィキ原則に従うべし)」と断罪され、「媒体によって“ばんどこ”、“ばんどころ”(現地案内板、道路標識等)がある」と書き換えられました。しかし、どうも、「媒体によって異なる」と言うのは、私の実感と違うのです。ウィキでは、個人の実感は尊重しないので、これは根拠として主張できないことは承知しています。しかし、・・・。

私は、番所のずっと下で、梓川が平野部に出た辺りで生まれ育った団塊の世代です。山の上の方に、“ばんどこ”という場所があることを聞いて育っています。同世代では“ばんどこ”が通用します。一昨年来、「番所」方面によく行くようになりました(それ以前には、14歳で意識もせずに1回通過したのみ)。そこで気になったのが、現地案内板・道路標識にあった“ばんどころ”表記なのです。現地に暮らす方に尋ねましたが、“ばんどこ”が正しいと言います。ただし、では“ばんどころ”表記についてどう考えているのかは尋ね洩らしました。

私が“ばんどこ”の振り仮名を見つけた3冊のうち、1962年の『南安曇郡誌』は古くて別格(たまたま振り仮名をした)として、89年に著書を出版した横山さん、07年に著書を出版した服部さんについては、あえて振り仮名を付けたのは、増え始めていた“ばんどころ”表記を憂いたからではないかと想像するのです。横山さんは梓川が平野部に出る手前に明治35年に生まれた故人、1949年生まれの服部さんは1970年ころに乗鞍高原に滞在して地元の子ども達と高原の古道を尋ね歩いたりして、当時の番所周辺を熟知しています(『峠の歴史学』69ページ以下)。なお、手元にある『安曇村誌』(第2巻・第3巻)には、振り仮名はまったくありません。地元にとっては自明のことだからでしょう。

地名が、このように安易に改変されているのはなぜなのか、地元ではそれをどう感じているのか。現地案内板・道路標識がなぜ“ばんどころ”になってしまっているのか、調べたいと考えています。県道に標識を掲げる県庁の者だけでなく、松本市役所観光課でさえ、番所の現地のことを知らずに仕事をしているのだろうと、恐れています。--ジガンザン8108会話2013年2月20日 (水) 07:17 (UTC)[返信]

2通りの読みを併記するよう編集した者です。「ばんどこ」とする書籍も、「ばんどころ」とする松本市のWebサイトも、どちらも信頼できる情報源とみなし、中立的な観点に基づき、「本来の名称は...」とする文章を変えさせていただきました。決して、ジガンザン8108さん個人への攻撃でもなければ(Wikipedia:個人攻撃はしない)、ジガンザン8108さんの文章への攻撃でもありませんし、当方が記事の所有権を主張することもいたしません。善意にとっていただけるような配慮を欠いた編集であったことをお詫びします。由来をお調べになるそうですが、何か事実が判明しましたら、当ノートページに報告していただけると幸いです。(見出しレベルを変更させていただきました)--Qurren会話2013年2月20日 (水) 10:52 (UTC)[返信]
先ほど、松本市役所の3か所に電話をしました。<安曇支所>では、「ばんどこ」が正しいが回答できるものがいないので、後ほどかけ直すと電話に出た女性に言われました。<山岳観光課>では、私の事情説明を納得しながらも、なぜそうなっているのか調べると言われました。<教育委員会文化財課>では、「(ネット画面を確認して)間違っていますね。さっそく訂正します」と言われました。県道の標識はどこに電話すればよいのか。県や市に「間違いだから正して下さい」なんて、1か所に電話しただけではすみません。しかも、実際に標識類に反映するのは、標識更新の時になるのか。日暮れて道遠しになりそうですが、なんとかやってみましょうね。それにしても、「印刷物・道路標識などでも“ばんどころ”と表記することが増えている」にまで、「要出典」をかぶせられたのは可笑しいね。なるほど、これがウィキ原則ですか。--ジガンザン8108会話2013年2月21日 (木) 07:29 (UTC)[返信]
昨日21日17時半ころ、<山岳観光課>から電話を受けました。「山の上の方に、“ばんどこ”という場所があることを聞いて育っ」た私にとっては、耳に聞き親しんだ呼称を否定されるさびしい結論でした。<文化財課>では「さっそく訂正します」と言われ、実際に、上の編集をした後で確かめると、早くも「ばんどこおおたき」に訂正されていました。しかし、今22日午前には、旧に戻されています。私は<安曇支所>に自分の電話番号を教えたけど、<山岳観光課>には伝えてない? どうやら、連絡を取り合ってくれたようです。
「番所」の読みに関する市側の見解は、次の通りでした。話は『安曇村誌』という本(分冊で、うち歴史編は1997~98年刊。私はこの2冊だけを昨年12月に購入)の編集時にさかのぼります。乗鞍高原全体のことを「番所原(ばんどこはら)」と言ったのだそうです。その乗鞍高原にあるのは「大野川」地区で、明治7年まで「大野川村」と言いました。その集落の1つに「番所(ばんどこ)」があった。ところが、『安曇村誌』編纂時に、この両者を区別したいという議論があり、乗鞍高原を表す「番所原」を「ばんどこ」と読み、うち一部の集落を表す「番所」を「ばんどころ」と読んで、両者を差別化することにしたというのです。番所大滝は「ばんどこ」の一部である「ばんどころ」にあるので、「ばんどころおおたき」だということになります。『安曇村誌』歴史編には「番所」はたくさん出ているはずですが、ルビはまったく付されていません。私が未見の『安曇村誌』「付録地図」にルビが付されているとのことです。
地名は遷り変わると<山岳観光課>スタッフに言われ、例として、明治7年まであった「大野田」も昔は「おおぬた」だったと言われました。この安曇地区でも、ウィキ上高地では触れられていないが、かつて上高地は「神垣内」などと言われ表記されていました。雑炊橋は雑師、雑食、雑仕、雑司などと書かれていたが1911年(明治44年)に雑炊橋の名称にした(ウィキは私がそう編集した)けど、やはり当時の人はそれを乱暴なこととして吃驚したのでしょう。今では「番所原」の呼称は使われていません。両方の読みを併記させていただき、冒頭告知は半年もしたら削除しましょうかね。--ジガンザン8108会話2013年2月22日 (金) 02:32 (UTC)[返信]
今、気づいたのだけれど、「外部リンク」にしてある松本市役所による「松本のたから 番所大滝」は、旧に復するに際し、【(注)番所大滝を「ばんどころおおたき」とルビ表記していますが、これは、旧安曇村が平成4年に「安曇村全図」の編集作業に当たって決めた表記によっています。ただし、これは「ばんどこおおたき」と読むことを妨げるものではありません。】との一文を付加しています。--ジガンザン8108会話2013年2月22日 (金) 02:47 (UTC)[返信]

(インデント戻す)調査報告ありがとうございます。半年が経過しましたので告知テンプレートを除去しましたのでご了承下さい。--Qurren会話2013年9月5日 (木) 12:34 (UTC)[返信]