ノート:河下水希

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河下水希と桃栗みかんが同一人物かどうか[編集]

出典の明記を含めた加筆・修正を頂きありがとうございます。全体的に記事としての質が随分上がったと思います。『ジャンプスクエア』4月号の方は私の方でも読んでいまして時間の余裕がある時にでも加筆したいと考えていましたが、もはや私の出る幕はなさそうですね、

さて節タイトルとさせて頂いた本題です。『小説JUNE』No.66の確認がとれていないので断定的には申し上げられませんが(探してみますがちょっと見つけるのも難しいかもしれません)、このページ内の記述から『JUNE』の情報は桃栗みかん名義でのプロフィール情報が記載されているということであるように読み取れます。だとしますと、この情報を河下先生のプロフィールとして記載するためには、まず「河下水希=桃栗みかん」であることの出典が必要になります。

ネット上では有名ですし私自身も『SQ』4月号の記述から両先生が同一人物であることを全く疑ってはいないのですが、「河下水希=桃栗みかん」という出典がない限りはWikipedia:存命人物の伝記などから考えまして同一人物として扱うことはできず、河下水希のプロフィール情報として桃栗みかんのプロフィール情報を記載するのは問題があります。場合によっては河下水希桃栗みかんを独立させることも考えた方が良いかもしれません。--マクガイア 2011年3月22日 (火) 13:55 (UTC)[返信]

たしかに、誕生日と出身地は同じであるといえますが、麻原いつみと荻丸雅子のように、荻丸名義の本の巻末の作者紹介に、麻原名義の作品があげられていることもないですからね。あのインタビューに、作品名が出てればよかったのですがね。 --ねこぱんだ 2011年3月22日 (火) 14:52 (UTC)[返信]
さて、各種出典を記述させて頂いた者ですが、本件についてはいくつかお聞きしたい事があります。
  • 同様の例について
私的な感覚としては、いくつもの名義を分けて使う作家さんはいくらでもいらっしゃるかと思いますが、逐一同一人物である旨を何処かで公表している、という例が普通とはあまり思いません。それらに関してまず議論の余地もなく、即分割、なのか(場合によっては同様例が多数出そうですが…)。ましてこの方の場合、明記こそなけれど、最近は明らかに桃栗名義時代を指して情報を公開しています。要するに、他例はどうなっているのか参考にさせて頂きたい。
  • 同一人物であることを確定できる条件について
条件としては、「=桃栗みかん」である旨、もしくは桃栗みかん時代の作品名が挙げられた場合、と判断してよろしいでしょうか。最近でこそ桃栗時代について語る機会が格段に増えましたが、改名後10年経過してもそこまで明らかな出典が無いので、明記される方針は基本期待できないと言っていいでしょう(ただ、当初のWJ移籍が「名前を売って戻ってこい」というものだった事から、別に明記を禁じられていないのかもしれませんが)。また、他に条件があるようでしたら、ご教示願いたい。(…出典がはてなダイアリーでよければ簡単ですけども(笑)。)
  • 分割の場合について
根拠が案内できないからこその分割である、とすれば、一切両者を結びつける記述の余地が無いのかも気になる点です。例として、関連項目に挙げたり、(Wikipedia内の方針によるものである注意を何らかの形で付け加えて)同一人物である(とされる)旨を書いても良いか。
こんな所でしょうか。個人的には、ご案内頂いた提起に厳格に従うならば、“場合によっては”どころか“即分割”、じゃないかと思いますが、検索エンジンでも同一単語とされるなどのWikipedia外の現状を考えれば、ナンセンスな気もするかなぁ、というのが正直な心境です。いかなる点で“場合によっては”なのかも知りたい処です。以上 --126.114.43.156 2011年3月22日 (火) 15:27 (UTC)[返信]
同様の例について
出典がなければ、記事の執筆者が作家の作風や状況証拠などから同一性を判断した結果になりますので、Wikipedia:独自研究は載せないに抵触します。したがって、同一人物であることの出典が得られない場合は別人として扱うのがWPでは原則になると考えます。
同様の問題が放置されている記事というのは多いのですが、そうした記事はほとんどの場合記事としての体をなしていない「それ以前」の状態であるように思います。本記事に関しては加筆が進み記事としての完成度が高まり、他の問題がなくなってきたが故にその辺りが顕在化してきたと言えると思います。
同一人物であることを確定できる条件について
一番理想的なのは勿論「桃栗名義で活動していた」という本人の発言があることです。それ以外でもおっしゃるように「桃栗名義の作品を河下先生が自分の過去の作品として挙げた」と言った形で本人が間接的に認めているものも出典として相応しいと考えます。類例としては尾玉なみえの「こおろぎあぽじ」ように、「過去の名義で発表していた作品が新しい名義での単行本に収録される」と言った場合も良いと考えます(尾玉なみえの主執筆者は私なのですが、アナグラムとなっている筆名などがいくつかある中で確証のとれたあぽじのみを記載しています。)
本人以外の発言であっても「誰々によると」と明示すれば多くの場合は問題ありません。例えば武論尊と史村翔が同一人物であることを西村繁男(漫画原作者となるきっかけを与えた1人)が発言している場合のように、本人に近しい人物が発言している場合は全く問題がないと考えます(記事の方は本人の発言を出典にしていますが例としてということで)。また、識者による評論であれば問題はありません。ただその発言の確度が低い場合には、大場つぐみガモウひろしの様に独立記事とした上で両者の関係を説明する形の方がよいと思います。この辺りの確度の判断は、例えば競馬記事なら『東スポ』を出典にしても問題ないだろうが、芸能ネタでは無理というような感じで確定的なことは言えません。ただ、本件の場合はその辺りを補強できる本人の発言がありますので、何かしらの出典があればこの辺りはあまり気にしなくてよいとは思います。
分割の場合について
厳密に言えば、結びつける出典がなければ関連項目として挙げるのも問題があります。ただ、本件の場合は状況証拠がかなりありますので、関連項目で「少女漫画時代の経歴と共通点の多い漫画家」の様な形で掲載するのは許容範囲ではないかと私は思います。
「場合によっては」というのは「両者を結びつける出典が望めそうにないなら」ということです。かなり資料をお持ちのようでしたので、その辺りの出典も期待できるのではないかと考えていたため、このような書き方となりました。
「WP外の状況を考えれば」ということについて共感はできるのですが、ネット上ではある程度は自演も可能ですし、WPがまがりなりにも百科事典を名乗るためには出典に基づいた記述のにみ限定するというのは非常に重要なことです。現状では分割すべきであるように思います。--マクガイア 2011年3月23日 (水) 11:15 (UTC)[返信]
「場合によっては」というのは「両者を結びつける出典が望めそうにないなら」
なるほど。既述の様に、現時点ではこれは望めないと思います(探せばどこかの漫画研究本とかにもしかしたら同一人物である旨の記載などもあるかもしれませんが…)。先日のSQ.4月号のインタビューでさえ、ぶ~け時代について触れる事自体初めてでしたし、あそこまで踏み込んで話すとは思いもよりませんでした。逆に言えば、それでも具体名には触れていない訳で、やはり望み薄かと。
関連項目で「少女漫画時代の経歴と共通点の多い漫画家」の様な形で掲載するのは許容範囲ではないかと私は思います。
これはちょっと難しいですね。にわかに知識がある身からすると、逆に「他だと同一人物とされているのにWikipediaだとそうじゃないという事は実は別人か」みたいな余計な混乱を招きかねない気がしますので(「別人として記述」≠「別人であるかの様に(捉えられる)記述」)、理想的な記述はもう少し検討したい所です。とはいえ「同一人物であるとされる」とは書けない訳ですし、何にも触れない方が無難なのかも…。参考にはなりましたので、分割する際に検討してみます。
分割の是非およびその時期については、もう少し他者の見解を待った方が良いかな?と思いますので、私は一旦引かせて頂きます。--126.114.43.156 2011年3月23日 (水) 15:24 (UTC)[返信]
私としましても、「できるならば分割しない方が好ましいが、方針上やむを得ないかもしれない」と考えていますので、もう少し何か方法がないか考えてみます。何も思いつかなければ改めて分割提案を行いますので、その際の告知で広く意見を集められればと思っています。--マクガイア 2011年3月24日 (木) 11:51 (UTC)[返信]
インタビューでわかるのは、〈現在『河下水希』という名で活動しているマンガ家さんが、かつて『ぶーけ』で作品を描いていた〉ことであって、そのとき『桃栗みかん』と名乗っていたかどうかは、それだけではわからないのですよ。もちろん、当時『ぶーけ』には、〈河下水希〉という描き手はいなかったのですが。 --ねこぱんだ 2011年3月24日 (木) 23:32 (UTC)[返信]
  • コメント誕生日と出身地が同じで絵のタッチが似ていると楠桂大橋薫のように同一人物ではないとは言い切れませんが単純計算で〈2,000,000(出生数)÷47(都道府県)÷365(日)÷2(男女比)〉=58.29人÷職業の数だと結構いたのですね。独自研究かもしれませんが明確な出典がないだけで同一人物で間違いないでしょう。ネットだと同一人物というのが常識であり確立された慣例になっているとは考えられないでしょうか。よく「何々先生の連載作品が読めるのはジャンプだけですツ!!」とか見た事がないでしょうか?ペンネームを河下水希に変更した場合ジャンプでの専属契約上名乗れないのとおもいます。--ZERBERUS 2011年3月25日 (金) 13:13 (UTC)[返信]
    • コメント まず、私も(そしておそらくねこぱんださんも)個人的な見解として同一人物であることには全く疑問を持っていません。その上で「WPの方針上、同一人物として扱うのは難しいのではないか」というのが本節の議論となっています。
      「絵のタッチが似ている」ことを根拠とすることは(ノートで議論している分には問題ありませんが、記事としては)典型的なWikipedia:独自研究は載せない違反になります。これは私も含めたどこの誰だかわからない執筆者が、双方の絵を比較してその同一性を判断した結果だからです。また「ネットでの常識」は典型的なWikipedia:検証可能性違反です。
      ペンネームを変更する場合に意図的に誕生日を変える場合もありますので、誕生日が同じというのも一つの状況証拠以上のものではありません。専属契約については集英社内での移動ですのでまず関係ないでしょうし、推測の域を出るものではありませんので、やはり根拠とするには難しいと思います。またいくらこうした状況証拠を積み上げましても、前述した方針によりWPでは「証拠を集めて結論を導く」というのは基本的にNGなのです。--マクガイア 2011年3月25日 (金) 13:37 (UTC)[返信]

新展開[編集]

桃栗作品の単行本復刊をめぐって、こんな記事[1]も出るようになりましたから、もう公認ではないでしょうか。 --ねこぱんだ会話2015年10月23日 (金) 08:42 (UTC)[返信]

本人公認となったようです[2]。 --ねこぱんだ会話2015年11月25日 (水) 22:52 (UTC)[返信]