ノート:李承晩

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2005年までの対話[編集]

日韓関係を考える際、最も重要と言ってよい人物ですが、人となりがあまり伝わっていません。ご存知の事ありましたらぜひご教示ください。平 誠 07:18 2004年3月10日 (UTC)

ジョン・トーランドの「勝利なき戦い 朝鮮戦争」という本に、 交通事故で米兵を殺してしまった韓国兵を処刑しようとして米側に止められるエピソードがあります。また、韓国軍が捕虜に対して残虐な行為をするの止めさせようとしなかったという記述もあります。一方で、亡命政府は作らずに、将兵と共に最期を迎えると夫人と共に誓ったエピソードが紹介されています。 とにかく朝鮮半島が赤化されるのを防ぐことに必死だったようですが、優れた指導者という印象は伝わってきません。ハルマンX 08:11 2004年3月30日 (UTC)

ハルマンXさん、こんにちは。 情報提供ありがとうございます。 確かに筋金入りの反共主義者だったようですね。朝鮮戦争が泥沼化する中、早くけりをつけたいアメリカがいろいろ提案するのですが、北の存在を固定化するような提案にはことごとく反対したといいます。その頑固さがアメリカなどに疎まれていたようですね。平 誠 20:34 2004年3月30日 (UTC)

李承晩が反共を貫いたために、結果的に今の韓国の経済発展があると言えます。結果はともあれ、当時の指導者としてのカリスマ性は金日成の方がずっと大きかったでしょうね。ハルマンX 02:34 2004年3月31日 (UTC)

杉山真大さんにいろいろ付け加えていただいて、百科事典の記事らしくなってきました。ありがとうございます。
ところで李承晩は韓国が成立してから3度日本を訪れています。最初は1948年10月です。ただいずれも非公式訪問でそれも自身の後ろ盾であるアメリカに促されて渋々の訪日だったようですね。この手の話は集まってくるのですが、大統領としてどのような国づくりをしたのかに関する情報がまだ不十分です。ご存知の方がおられたら、加筆をお願いします。平 誠 04:31 2004年4月11日 (UTC)


2004年4月25日16:55に 128.54.59.197さんが「今日でも、これらの政策による弊害が大きく、日本と韓国間に横たわる問題の多くが李承晩時代に端を発している。」という一文を加えてくださっていますが、これはうまい表現ですね。勉強させていただきました。どうもありがとうございます。平 誠 13:38 2004年4月25日 (UTC)

どういたしまして。韓国の項目をいじったのも私です。韓国関連の項目を時間があったらいろいろ書いてみます。--128.54.59.197 21:53 2004年4月25日 (UTC)

どうも李氏朝鮮という用語を嫌う名無しの方がいるようですが、日本における標準的用語である李氏朝鮮を使わない理由を記載してください。Poo-T 2005年10月6日 (木) 10:34 (UTC)[返信]

(ここだけ2006年になっていますが、たまたま見つけたので)標準的用語は「朝鮮王朝」になりつつあります。「李氏朝鮮」は古いです。文部科学省でさえ「朝鮮王朝と記述すべき、李氏朝鮮でも完全な間違いではないが」と歴史教科書に対して検定意見をつけています。プレス向けには「韓国からの要望に応じたのではなく、日本における朝鮮史研究の最新の成果を汲み取った」という内容のコメントもありました。--Iosif 2006年7月22日 (土) 18:37 (UTC)[返信]

2006年7月22日(土)05:47(UTC)の編集[編集]

222.118.33.229さま:反日政策のセクションを削除なさっているのを拝見しました[1]。言及に値しないと考えられたかまたは「反日政策」の強調は政治的主張に近いと判断なさったのかもしれませんが、念のためお考えをお聞かせください。▼私=Iosifは李承晩の生涯を語るうえで大統領就任後の「反日」と呼ばれているいくつかの事柄などまったくマイナーなもので限りなく言及に値しない事柄だとも思っていますが、完全に削除すると、またぞろいい加減なこと(例:[2]など複数)を書く人が出るのではないか、最低限の言及があったほうがマシなのではないかと考えました。予測でしかないので自信を持って言っておりません。迷うところではあります。また、実際にバランスから考えて記述量が多いとは思っています。▼同セクションについて、単に私の理解が間違っているのであればご指摘ください。--Iosif 2006年7月22日 (土) 18:37 (UTC)[返信]

韓国民主党[編集]

備忘録。曖昧さ回避ページの作り方がわからないので、とりあえず、韓国民主党 (1940年代)としておきました。現在、「韓国民主党」は金大中系の「民主党」にリダイレクトされています。40年代の与党「韓国民主党」と金大中系は微妙に系譜がつながっているので、どうしていいかわからず、とりあえず。あと、呂運亨の項目でも「韓民党=李承晩時代の韓国民主党」に言及したが、未修正だということをメモ……。--Iosif 2006年7月27日 (木) 20:27 (UTC)[返信]

私も備忘録つづき。ここにメモしていたのを忘れていたので。その後、リダイレクトページになっていた「韓国民主党」のページを記事にしました。--Iosif 2007年4月15日 (日) 19:48 (UTC)[返信]

備忘欄[編集]

李垠李方子の帰国を許さなかった話、朝鮮戦争での停戦間際の攻防(笑っていいのか分からないけど、かなり面白い)、大清皇帝功徳碑を埋めた逸話etc 中途半端に書くと「反共は国是」みたいな間違い(正解は「力を合わせれば生き~」ですね)を起こしそうなんで、ある程度まとめてから投入します。--Blueroses5327 2007年4月15日 (日) 18:57 (UTC)[返信]

しかし、この爺さん本当に面白いわ(笑)全面書き換え中。差し当たって、四捨五入改憲の間違いを訂正。--Blueroses5327 2007年4月18日 (水) 08:45 (UTC)[返信]

とりあえず「建国以前」と「対日政策」以外投入。細かいミスがあったら(ふざけてる部分もあるので)修正お願いします。生涯の部分はもう少し年表的にすべく、徐々に修正していきます。それにしても、出自のアレは本当なんですかね? --Blueroses5327 2007年4月19日 (木) 23:37 (UTC)[返信]

氏の表記[編集]

리승만」で画像検索すると、「大統領閣下…」と綴られた1950年代発行の切手がでてきます。本人ではないですが、1960年代の韓国映画を見ると、李がと綴られているポスターなどが見られました。 --ボイラーキム 2009年12月7日 (月) 05:10 (UTC)

逮捕・投獄歴について[編集]

「恐らく独立運動で日本の特高に逮捕され、拷問された挙げ句に6年も投獄された苦い経験がある事が一因であろう。」という記述を削りました。 大韓帝国時代に、朝鮮の警察に逮捕・投獄されたという記録はあるようですが、「日本の特高」に逮捕された、とい事実は確認できなかったので削りました。 --以上の署名のないコメントは、115.176.229.213会話)さんが 2010年11月17日21:55:54‎ (JST) に投稿したものです(Bletilla会話)による付記)。

李承晩は革命家か[編集]

カテゴリーに「韓国・朝鮮の革命家」があります。果たして本当に李承晩は革命家と言って良いのでしょうか。--Bletilla会話2013年10月11日 (金) 01:17 (UTC)[返信]