ノート:最後の授業

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Iosif氏の編集について[編集]

氏はこのノートをご覧になっていないようですね。問題になってる部分は、上記のようにかなりの議論の上にまとめられた合意に基づくものです。

  1. 皇民化政策の歴史は長く太平洋戦争期に限らないが教材として用いられていた時期が太平洋戦争期なのか?
    上記にあるように、そもそもこの小説が教科書の教材として採用されたのは1927年です。明確な皇民化政策など実施されていません。Stranger non general person氏は「時系列から、皇民化政策の為に教材として採用されたのではないことは明らかだが、皇民化政策の中で使用されたとは推測できる。だから現在の編集に大枠では同意する」とおっしゃられています。前後の議論をよく読んでください。
  2. 沖縄も「内地」も皇民化教育の対象だから「国の内外」
  3. 現代の観点から説明している文章で「外地」の語を無理に使うのは誤魔化し表現。こういう使用例も見かけない
    いいえ。外地は、台湾や朝鮮半島、樺太の南半分を現す正確な用語です。確かに「植民地」と呼ぶこともありましたが、ならば「属地」という呼び方も併記しなければなりません。そもそもIosifさんのおっしゃることが正しければ、「国の内外」とだけ書けば十分ではありませんか? それから「とりわけ熱心に」という記述を含めたいのなら、そう評価しているソースを提示してください。
  4. 「抹消政策」の語も不要なら要出典テンプレも等しく不要では?対比している例の出典を求めてる?
    そのとおりでしょう。というか、「要出典」タグの添付に留めて記述そのものを削除しなかったのは、Stranger non general person氏なりの配慮だったのでは? その配慮を無視したのですから、そもそもソースのない記述は不必要だと判断しました。この記述を復活させる場合は「フランス政府がアルザス人にフランス化教育を推し進めアルザス語を抑圧したことと、日本の皇民化教育が対比される」とするソースを提示してください。
上記のノートの記述でお分かりになられるとおり、この記事、特に「小説が書かれた時代背景」に関しては、Stranger non general person氏はかなり詳細な調査をなされています。彼の調査を無視して「誤魔化し表現」とするのはあまりにも配慮に欠けた発言ではありませんか? おまけにあなたは何一つソースを提示していません。 IPユーザーではありますが、貴方の編集姿勢には少々疑問を感じます。

--220.254.38.240 2007年2月21日 (水) 06:54 (UTC)[返信]

>>現代の観点から説明している文章で「外地」の語を無理に使うのは誤魔化し表現。こういう使用例も見かけない (Iosif記)
>いいえ。外地は、台湾や朝鮮半島、樺太の南半分を現す正確な用語です(220.254.38.240さん)
正確な用語ではありません、記事内文脈では。植民地をもっていた限りにおいて「外地」という概念があり得たのでしかなく、「太平洋戦争においてアジア諸国を支配下において、国の内外(外地および占領地)」という文脈で用いるうえで「外地」の語は説明に役立っていません。単なる言葉の忌避です。この種の忌避はネット上でだけ頻繁に行われているものでしかなく、それを正当化する根拠も特にない、誤魔化し表現です。根拠についてはノート:韓国併合#日本統治下の朝鮮を植民地と呼ぶかどうかについての論争をご参照ください。
>彼の調査を無視して「誤魔化し表現」とするのはあまりにも配慮に欠けた発言ではありませんか?(220.254.38.240)
「植民地」と「外地」の用語法についてStranger non general personさんが特に調査した形跡はみられません。
>「要出典」タグの添付に留めて記述そのものを削除しなかったのは、Stranger non general person氏なりの配慮だったのでは?
ならば記述そのものを削除するべきでしょうね。でないと意図がわかりません。編集要約欄で「民族文化抹消政策という言葉は(ほぼ)存在しないので削除。繰り返しますが、まず出典を提示してください」と書いて「民族文化抹消政策」云々という記述を削除する。この文脈で「アルザス語抑圧と日本の皇民化政策の対比」に出典を求めているとは、ちょっとわかりづらい。私はかなり意図を慮った部類だと思います。
>その配慮を無視したのですから、そもそもソースのない記述は不必要だと判断しました
なぜ、あなたが勝手に判断を? その記述は私によるものではありませんし(誰かは知らない)、あなたもStranger non general personさんではないはずなのに、あなたが言う「配慮」ももはや不必要だと判断したり他人の「配慮」を勝手に踏みにじるというのは理解できません。--Iosif 2007年2月21日 (水) 21:24 (UTC)[返信]


Iosifさん、大変申し訳ありませんが、貴方に私の意図を慮って頂く必要はありません。
  • 220.254.38.240さんの推測はほぼあってます。私が求めているのは(これは貴方が言うとおり)、アルザス語を抑圧したフランスと、皇民化政策を推進した日本を対比している文献その他のソースです。当初、この記述を追加された時に私が「要出典」タグを付加し、それを無視して「民族文化抹消政策」という語を付け加えたためにこの様な注釈をつけたわけです。大変申し訳ありませんが、履歴ぐらい見ていただけませんか?>Iosifさん
  • 「外地」という用語に関しても、確かに「国の内外」でいいですね。「外地」などという言葉を使ったのは不適当でした。正にIosifさんが指摘なされたとおり、この言葉は大きな論争になってますからね。要するに「当時日本の領土だった地域および占領下にあった地域」を端的に表せばいいわけですから、「国の内外」で十分でしょう。この記事に本質的にかかわりの無い用語についてこだわるべきではありませんね。
  • 2~3日図書館に通ったくらいで「詳細な調査」と呼ばれてしまうのはこそばゆい限りですが(苦笑)、少なくとも私が調べた範囲では、この小説に関して「植民地や占領地でとりわけ熱心に」教材として使われたと述べたり、「フランス統治時代にフランス政府がアルザス人にフランス化教育を推し進めアルザス語を抑圧したことと、日本の皇民化政策が対比される」などと評価する記述はありませんでしたね。まぁ、皇民化政策に関して「植民地や占領地でとりわけ熱心に」実施されたと評したソースはあるかもしれませんが、それは(もし必要なら)「皇民化政策」の記事内に記述すれば済む話です。
--Stranger non general person 2007年2月22日 (木) 01:39 (UTC)[返信]
>正にIosifさんが指摘なされたとおり、この言葉は大きな論争になってますからね。(Stranger non general personさん)
なってませんよ。
と、いつもと同じツッコミが入るのはおわかりでしょうが、太字強調(毎度太字強調が多すぎる)してまで、「そういうこと」にしたいのかな?と思えるので、ツッコミを入れておきましょう。
>Iosifさん、大変申し訳ありませんが、貴方に私の意図を慮って頂く必要はありません。220.254.38.240さんの推測はほぼあってます。(Stranger non general personさん)
それ、私の推測でしょう。で、IP氏が「そうだと思いますが」と付け加えた。いちいち特定アカウントにだけ敵意をむき出しにするような子供じみた真似はやめたほうがよろしいです。--Iosif 2007年2月22日 (木) 02:36 (UTC)[返信]


  • Iosifさん、「ノート:日本の民族問題」での出来事をもって「私が貴方(Iosifさん)を敵視している」と評されているのでしょうか? 大変お気の毒ですが、私は貴方(Iosifさん)を敵視などしていません。無視しているだけです。
  • ただ、上記で一つ、正しいご指摘がありましたので、前回の私の発言を修正しておきましょう。「大きな論争」という言葉は不適切でした。論争があるか否かはともかく、それが大きいか小さいかは個人の主観にも係ってくる事柄ですね。これは不適切な発言でした。「論争がある」と修正しましょう。論旨には特に影響はありませんし、Iosifさんもよもや、ノート:韓国併合#日本統治下の朝鮮を植民地と呼ぶかどうかについての論争自分から持ち出しておいて「論争など一切無い」とは申しますまい。私としてはそれで十分ですし、もし本当に論争が無いなら、そもそも「外地」という記事が存在していることがおかしいのですからね。
  • ちなみに外地の概要には「外地(がいち)とは、第二次世界大戦前の日本(大日本帝国)において、いわゆる内地以外の統治区域をいう。植民地、属地ともいった」とあります。外地が主で、植民地と属地が同列で従になっていますね。
  • まぁ、それも当然です。「外地」はまさしく日本の「いわゆる内地以外の統治区域」を特定する言葉ですが、「植民地」は「前略~ 近現代においては、本国政府の憲法や諸法令が原則として施行されず、本国と異なる法的地位にある領土を植民地という」と、日本だけに限った概念ではありませんし、どこか特定の地域を指す言葉でもありませんからね。もし、朝鮮半島や台湾、樺太の南半分が植民地であったとしても、「第二次世界大戦まで日本が保有していた植民地」=「外地」となるだけです。
  • ついでに言えば、私は「外地」=「日本の植民地」ではないとは思っていますが、そう呼ぶことに特段反対しているわけではありません。当時、イギリスその他欧米では、日韓併合を「annexation」として報じていましたが、欧米では、「併合(annexation)」は、「植民地化(Colonization)」よりさらに数段強い搾取を行う為の行為だと捉えられているからです。わざわざ日本のイメージアップをしてくれるなら、それは大変結構なことです :-)
なぜ「数段強い搾取を行う為の行為」と捉えられていたかといえば、英語の場合に併合(annexation)って言ったとき、英国によるアイルランドの武力併合とそれに続く徹底的な搾取が真っ先に思う浮かぶから、らしいです
  • さて、それを踏まえてIosifさんと(該当する部分だけRevertされた)Powershipさんにお聞きします。
  1. なぜ「国の内外で、とりわけ植民地や占領地で熱心に」という記述を追加するのですか? この記述をこの記事(「最後の授業」)に挿入しなければならない理由を説明してください。なぜ「国の内外」だけではいけないのですか? 特に、「とりわけ植民地や占領地で熱心に」は、皇民化政策に対する評価であって、この「最後の授業」には直接関係は無いはずです。
  2. 「現在では、フランス統治時代にフランス政府がアルザス人にフランス化教育を推し進めアルザス語を抑圧したことと、日本の皇民化政策が対比される」と評価しているのは誰ですか? ソースを示してください。
上記二点のお返事があるまで、該当する記述をRevertします。
--Stranger non general person 2007年2月22日 (木) 06:58 (UTC)[返信]

losif様の説だと、「最後の授業」は、皇民化政策のなかでの「国語」の民族主義的な称揚に役立てられていた。という位置付けになるようですね。本当に反日自虐史観が極まっているようです。ところで、これが「独自の研究」ではないと主張されるのであれば、この説の出典を示していただけますでしょうか?示されないのであればこの節は削除させていただきますが。--ちとせ 2007年2月22日 (木) 12:49 (UTC)[返信]

ちとせ さん
いやいや、現在の(私がRevertした)記述はそれなりの議論の後に合意された記述です。議論の内容はこのノートに残っていますので、ちとせさんもご参照ください。上に書いたとおり、現在の記述は正直私も少々不満なのですが、採用の動機(の、少なくとも一部)には『「国語」の民族主義的な称揚』があったのは確かでしょうし、第二次大戦/太平洋戦時には、この「最後の授業」も占領地の「皇民化政策」「同化政策」に利用されたであろう事はかなり蓋然性の高い推測だとは思います。ですので、大筋では私は現在の(私がRevertした)編集には合意しています。
--Stranger non general person 2007年2月22日 (木) 15:08 (UTC)[返信]

>Iosifさんもよもや、ノート:韓国併合#日本統治下の朝鮮を植民地と呼ぶかどうかについての論争を自分から持ち出しておいて「論争など一切無い」とは申しますまい。(Stranger non general personさん)

言いますよ。ちゃんと読んでいないでしょう? 論争と呼べるものなどまったく紹介されておらず、紹介しようがないということも複数アカウントが確認しあっています。まあ、内容からしても、そのような「論争」は学術的にはあり得ない・不可能でもあります。ココでやる話ではありませんが。

>「外地」=「日本の植民地」ではないとは思っていますが(Stranger non general personさん)

意外! これはそのとおりです。で、そもそも呼称の次元・基準が違うのだから「植民地」と書くべき文脈で「外地」と機械的に置換するのはおかしいわけです。

>大変お気の毒ですが、私は貴方(Iosifさん)を敵視などしていません。無視しているだけです。

▼無視でもどっちでもいいですが(気の毒ではないと思うが)。ただし、強調しておくべきことはあります。
▼「無視」とやらを正当化できるようになった理由が、辞書を引用しての飛躍した解釈を「通常の日本語解釈」と言い募っていることに対して「通常の解釈ではない。異常な解釈である」と指摘したことでしょう。「対話を拒否された」と言って。これで楽になったんでしょうけれども、同じ箇所を何回引用してでも通常の日本語解釈であると認めない人が複数いることは指摘しておきます。あのような独自論考に基づく編集は不適切であるとして修正するだけですが。▼もう一つは、「無視」しているはずが、たまに「慮ってもらう必要はない」等々言及しないでいられなくなっているので不思議に思って指摘しているだけです。▼あと、言い募ることではどんなことでも誤魔化せませんよともしたためておきます。楽になっちゃってる経緯も、発言位置の移動も、ぜんぶ履歴に残っています。
▼しかし、Stranger non general personさんが関係ないノートでこういう話を持ち出すとは不思議です。お返事のみしたためておきますので、続けたければ後は別の場所が良いと思います。--Iosif 2007年2月23日 (金) 03:42 (UTC)修正付加。--Iosif 2007年2月23日 (金) 03:54 (UTC)[返信]


つまり貴方(Iosifさん)は、私の質問の1.にも2.にも答えられないわけですね? では結構です。以後、(新たなソースの提示無く)同じ編集は行わないでください。--Stranger non general person 2007年2月23日 (金) 06:59 (UTC)[返信]

losif様、「最後の授業」をきちんと読んだ事のある人なら、誰でもわかることですが、この小説は「戦争の敗北により、国民のアイデンティティである、国語を禁じられ、奪われることの悲しみを描いた」小説です。この小説を教科書に使うことがいかなる理由で「皇民化政策」になるのか疑問です。朝鮮人から無理やり朝鮮語を奪ったことは悪いことだとする「反皇民化政策」に使われたと言うなら、納得がいくのですが。国語を奪われることに対して抵抗しようという小説が、いったいどうやって占領地の「皇民化政策」「同化政策」に利用できたのか理解できません(笑)納得のいく御説明をお願いします。--ちとせ 2007年2月23日 (金) 11:58 (UTC)[返信]

Iosifさん、私には、貴方こそが特定の政治的思想をもって特定のユーザーに敵意を持っているとしか思えません。私の問いにもStranger non general personさんの問いにもちとせさんの問いにも答えず、ただ自分の見解を演説のように垂れ流しているだけです。編集に関係ない書き込みは控えるべきですし、ここは貴方の演説場所でもチラシの裏でもありません。何も言い返せないのなら、もう書き込みを控えられたほうがよろしいのではないですか? ちなみに私は、第二次大戦までの朝鮮半島・台湾・南樺太について「植民地」と呼ぶのは不適当だと思っていますし、この点ではStranger non general personさんの見解とは意見を異にしています。外国から見たイメージがどうであろうと、実態に即した「併合」と「外地」という言葉で呼ぶべきです。貴方の例示した、ノート:韓国併合#日本統治下の朝鮮を植民地と呼ぶかどうかについての論争を読んでも、とても「論争と呼べるものなどまったく紹介されておらず、紹介しようがない」などと解釈することはできません。これは貴方の一方的な解釈だと思っていますが、(これは貴方のいうとおり)このノートで話し合いを続けるべき内容ではありません。

なんにしろ、これ以上編集に関係のない個人攻撃を繰り返すのは見るに耐えません。上記のような書き込みしか出来ないのなら、荒らしと認識されても仕方ないのではないでしょうか? --210.172.24.240 2007年2月23日 (金) 14:38 (UTC)(元220.254.38.240 )[返信]

ここで続けることではないので、「嘘」をついている箇所だけ指摘します。
>貴方の例示した、ノート:韓国併合#日本統治下の朝鮮を植民地と呼ぶかどうかについての論争を読んでも、とても「論争と呼べるものなどまったく紹介されておらず、紹介しようがない」などと解釈することはできません(210.172.24.240さん)
読んでいないか、誰も読まないだろうと思って嘘をついているかのどちらかだと思います。上記のノートのどこに「論争」と呼べるものが紹介されているのか教えてください。対論者でさえ「(学術上はそうかもしれないが)これは政治的妥当性というものではないか」と述べて、論争の不在を認めています。無論、ウィキペディアンが提起する「政治性」「政治的妥当性」など事典編集には無関係で、議論の対象外です。--Iosif 2007年3月2日 (金) 10:47 (UTC)[返信]