ノート:川端康成/過去ログ1

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三島は川端の門下なのか?

1968年ノーベル文学賞を受賞し、『美しい日本の私』という講演を行った。その3年後にガス自殺をした。遺書はなかったが、理由として門下の三島由紀夫の割腹自殺などによる強度の精神的動揺があげられる。

上記の「三島由紀夫が門下」というのは、誤りでは、無いのですが、微妙なニュアンスを感じました。 1946年、三島の短編『煙草』を川端康成に持ち込み、川端主宰の同人誌「人間」に掲載。彼の推薦を受け、文壇への足がかりとなり、三島は生涯、川端を尊敬と恩義を感じていたようです。以降、自他共に認める、師弟関係にあったのは事実なのですが。三島を「門下」とする直截な表現に、これまで出逢ったことないのですが…。そこで「交遊の深かった」という一文に置き換えてみました。

ご意見・ご指摘を頂ければ幸いです。

  • たしかに「門下」と呼ぶにはやや微妙な関係でしたね。三島は「川端先生」とは呼ばず、常に「川端さん」でした。--Arpeggio 2006年1月11日 (水) 01:59 (UTC)
  • 同感です。三島は文学では自分の方が上だと本気で思っていたようだと書いている文献が複数あります。また、自分が先生にノーベル賞を譲ったかのような発言をしていたと伝えられていますが、推薦者になったのは事実としても、最低でも3名以上と言われる推薦人(非公開のためあくまで推定らしいですが)が必要とされてるわけですから、おかしなことになります。遠藤周作の随筆には自決行前日にたまたまホテルで見かけた三島の様子と当時の文壇作家の事件に対する意外な見解が出ています。非常に複雑で屈折したプライドを持っていた方で、門下などとは夢にも思っていなかったのではないかと思います。お二人が出ているノ-ベル賞受賞決定後のインタビュー映像なんかも見ましたが、ちょっとした先輩作家くらいの感じですね。態度は。川端先生も、欠点も大きいけどおもしろいやつだなあくらいの感じだったのではないかと思います。(三島氏と親交のあった石原慎太郎氏の発言の裏付けあり)ちなみにご存じの方も多いと思いますが、三島氏と川端氏の交流は、三島氏が東大生だった20歳頃から始まってます。普通、これだと師弟関係となるはずなんですがねえ。たしかに三島氏は川端文学の影響感じられないですね。--SW20MR2 2010年7月10日 (土) 11:25 (UTC)

結婚

  • 記事: 「1927年、前年結婚した夫人とともに」すなわち1926年に結婚。
  • 岩波文庫『雪国』の川端康成略年譜: 1931年12月に松林秀子と結婚。
  • http://www.tokyo-kurenaidan.com/: 大正14年松林秀子は「市ヶ谷左内町」の菅忠雄の家で留守を預かっていたが、菅がその家に川端も住まわせることにした。同居を始めたのは大正15年。「結婚の報告」のために故郷の八戸に帰っていたのが横光の結婚式(昭和2年)以前。昭和6年12月2日「秀子夫人との婚姻届」
  • http://www.asahi-net.or.jp/~uc4t-hys/nenpu.htm: 1926年4月「市が谷庄内町二六」で「秀子夫人との生活」。9月夫人は「新生活の報告」のため、郷里の青森県八戸に戻る。昭和6年12月2日「秀子夫人との婚姻届」。

以上から、1927年から事実婚、1931年に正式に婚姻、とすると、1927年以降を本人または周囲が「結婚」と言っていたのなら記事中の文はそのままで済みますが、「新生活」等その他の呼び方をしていたのなら修正が必要でしょう。 --Little tree 2006年8月23日 (水) 04:29 (UTC)

昔の人は祝言を挙げても、しばらくは入籍しないことが多かったようで、今日の習慣とは異なっていたようですね。「1931年に婚姻届を出した」という点を明記すればよいのでは?

文化勲章について

「受章」と「授章」

誤解があるようなので説明いたします。文化勲章は「勲」であって、「勲功の章し(あかし)」です。ここが「ノーベル」や「アカデミー」などといった「実績を表彰した賞」との違いです。勲章には伝統的に「授章」という語を用います。意味は「勲章を授けられる」で、これは男爵や伯爵などといった爵位を賜ることを「授爵」というのと同様です。勲章や爵位は「授けられる」ものであって「受ける」ものではなく、そもそも「受章」「受爵」といった語は日本語にありません。よくある間違いです。--ブレーム 2008年7月6日 (日) 20:37 (UTC)

すみません。タイプミスかと思い修正したのですが、ブレームさんはあえて「授章」に修正なさっていたのですね。
「授章」と「受章」の違いについては、国語辞典をご覧になればどのように使い分けがされているかわかるはずです。この場で私が答えを教えてもよいとは思うのですが、まず、ブレームさんには辞書を引くことをおすすめしたいと思います。辞書を引くことで、言葉の意味はよりはっきりと身に着くはずです。
辞書を引いてもよく理解できないのでしたら、誰か他の方に聞いてみてはいかがでしょうか。ブレームさんがおいくつなのかはわからないのですが、まず学校で国語の先生に聞いてみることをおすすめします。「授」は小学校高学年で習う漢字ですので、ブレームさんはまだ習ってらっしゃらないのかもしれませんね。「授」という漢字を習うとき、おそらく「受章」と「授章」、「受賞」と「授賞」の違いについても習うはずですよ。漢字検定などでも頻出する引っ掛け問題ですので、これからはぜひ間違えないでいただければとおもいます。--Kobutoshozo 2008年7月7日 (月) 02:10 (UTC)
もし、ブレームさん学校を卒業された方なのでしたら、新聞記者さん、作家さん、翻訳家さん、ライターさん、編集者さんなど、いわゆる「文筆業」とされている方々に聞いてみるのもよいかもしれません。ビジネスとして言葉を扱う職に就いている方々でしたら、「授章」と「受章」の使い分けは常識の範疇ですから、必ずご存知のはずです。身の回りにそういった方々がいらっしゃるのでしたら、ぜひ質問してみてください。--Kobutoshozo 2008年7月7日 (月) 02:28 (UTC)
そもそも「受章」「受爵」といった語は日本語にありません。正しい日本語を使うことを提案しているのに、辞書を逆手に取って言いたい放題で人をやり込めるというのは実に不愉快です。いろいろおっしゃっていますが、学歴とか教養といったものは、その者の書く文章に如実に反映されるものですよ。投稿記録を見ると明らかに議論の余地のない方のようですので、それであなたが満足感をえられるのなら、どうぞお好きになさいませ。--ブレーム 2008年7月8日 (火) 20:32 (UTC)
goo辞書では「受章」は「勲章などをもらうこと」、「授章」は「勲章などをさずけること」となっています。漢字の意味からもそのままです。「受爵」はgoo辞書では載っていませんが、ここではブレームさん以外言及していません。--プリズム11 2008年7月8日 (火) 20:46 (UTC)
これは文部科学省のサイトですが、ブレームさんはどう御覧になりますか? martin 2008年7月8日 (火) 22:09 (UTC)
ブレームさんの物言いにやや驚いたのですが、もし私の文章を読んでご不快になったのでしたらすみません。しかし、「受章」という日本語が存在しないとの主張は、いささか突飛な説ではないでしょうか。まず辞書を引いてからご発言なさってはいかがかと思います。ただ、辞書を引くようにすすめただけでは、いささか説明不足だったかと思い、少し長いですが書かせていただきます。
プリズム11さんがおっしゃっているように、「授章」とは「章を授与すること」を表しており、「受章」とは「章を受領すること」を表しています。難しいとお思いでしたら、勲章や記章など「章を授ける」ときは「授章」、「章を受ける」ときは「受章」と覚えておけば、わかりやすいと思います。日本開闢以来、文化勲章を授章したのは先帝陛下と今上陛下のお二方だけですが、文化勲章を受章した方は大勢いらっしゃいます。martinさんがおっしゃっているページは「授章者の一覧」ではなく「受章者の一覧」なので、沢山の方のお名前が確認できますよね。
ブレームさんはノーベル賞についても言及していますが、ノーベル賞なども「賞を授与すること」は「授賞」、「賞を受領すること」は「受賞」といいます。書き取りテストを思い出してほしいのですが、「ノーベル賞授賞式」なら○ですが「ノーベル賞受賞式」なら×となりますよね。文例を挙げると、「ノーベル賞は佐藤さんなど日本人が受賞した例はありますが、日本人が授賞した例はない」といったところでしょうか。
いずれにしても、誰が主語なのかに注意すれば、「じゅしょう」にどの漢字を使えばいいかすぐにわかるはずです。--Kobutoshozo 2008年7月9日 (水) 03:30 (UTC)
ブレームさん、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかをご覧ください。「『受章』という言葉は日本語に存在しない」などと自説を主張したいのでしたら、ご自分の著書やウェブサイトで行ってください。--Bunshi 2008年7月10日 (木) 05:47 (UTC)
国語教科書を発行する光村図書出版さんが発行するメールマガジンに、「受賞」と「授賞」の違いについての説明が掲載されていました(こちらです)。比較的平易な文章ですので、お読みいただければブレームさんも納得いただけるのではないでしょうか。--Bunshi 2008年7月11日 (金) 09:49 (UTC)
今日図書館に行って、わかりやすい文献はないか調べてきました。国語辞典漢和辞典なども含めて確認いたしました。その結果、比較的理解しやすいと思われる本として、下記を挙げたいと思います。
この本を推薦しましたのは、同音異義語の使い分けについて、言葉だけではなくイラストでも説明されており、視覚的に理解しやすいと感じたからです。イラストを併用しているこの本でしたら、ブレームさんにもご理解していただけるのではと思います。
「授賞」は「賞を授(さづ)く」と読み、賞を与える側が「褒美や、賞を与える」ということ。
「受賞」は「賞を受(う)く」と読み、文字通り与えられる側が「褒美や賞を受ける」ということ。どちらも漢文由来の熟語なので返り読みをするわけです。ということで、問題になっている各ページは文化勲章を受けた側の人々に関して書かれている、すなわち主語は「賞をもらった、受けた人」なのですから、「受賞」と表記するのが正しい。
ちなみに内閣府賞勲局の文化勲章の説明にもこうあります。「文化勲章は,我が国の文化の発達に関して顕著な功績のあった者に対して授与される勲章です。受章者は,文化審議会に置かれる文化功労者選考分科会に属する委員全員の意見を聴いて文部科学大臣から推薦された・・・・・(以下略)」とあります。--Kogane 2008年7月21日 (月) 10:22 (UTC)

誤字の記載を繰り返す編集一覧

複数の利用者により、誤字を含む編集が繰り返されています。特に、誤字である旨を要約欄で指摘されているにもかかわらず、誤字を含む記述に再度戻してしまうのは、さすがに問題があるのではないでしょうか。また、誤字である旨をノートで指摘されているにもかかわらず、独自の理論を展開しており、あたかも誤字を正当化するかのような発言をなさっています。ご本人はそのような意図はないのかも知れませんが、第三者から見るとあたかも荒らし行為であるかのように見えてしまうと思います。もう少し、ノートなどを活用し、より丁寧な対話が必要なのではないでしょうか。せっかく誤字をご指摘してくださる人がいらっしゃったのですから、誤字だったことをお認めになったうえで、今後は同じ間違いをしなければそれで済む話のように思います。誤りのない人なんていないと思いますし、誰かが間違った記述をしたらそれを他の人が正しく直してくれ、結果的に記事の質が保たれることが、ウィキペディアの利点なのですから。利用者同士がお互い協力し合って、記事をよりよくする方向で動いてもらえればと思います。--58.81.169.165 2008年7月11日 (金) 19:48 (UTC)

「授爵」
「授章」


どうも「受章」と「授章」の使い分けを間違えている人が多いようですね。「"授章" site:ja.wikipedia.org」でgoogle検索してみたところ、「受章」とすべきところを「授章」にしてしまっている例が多数見つかりました。124.86.152.206 2008年7月12日 (土) 17:14 (UTC)
「使い分けを間違えている人」ならまだしも、「誤った使い分けを主張し、正しい記述をわざと誤字に修正する人」、「自身の誤りを指摘されても、謝罪や修正もせず、自説に基づき誤記を繰り返す人」が存在することが問題だと思います。そのような編集は荒らしと判断される可能性もあると思います。--60.254.202.194 2008年7月13日 (日) 07:16 (UTC)
上のような書き方をすると、まるで「授章」とする表記が市民権を得ているかのように見えますが、実際には上の一覧の利用者は同じ人なのですから、上記のような一覧は誤解を招くのではないでしょうか。

天皇親授

ひじょうに瑣末な話しで恐縮ですが、ブレームさんは「文化勲章は天皇親授(この語の意味がわかりますか?わからないようでしたら遠慮なくご質問ください)ですので『授章』は『天皇が授ける』ではなく『天皇から授けられる』という意味になります。」(原文ママ、ただしカギカッコを二重カギカッコに)とおっしゃっていますよね。しかし、文化勲章が天皇親授になったのは1990年代からだったと記憶しています。したがって、川端康成は天皇親授で文化勲章を授与されたとは思えないのですが、いかがでしょう。

また、ブレームさんの主張は、「天皇親授の勲章を受け取るときは授章」、「それ以外の勲章を受け取るときは受章」ということをおっしゃっているのでしょうか。--Bunshi 2008年7月11日 (金) 10:02 (UTC)わかりやすくするため、節を新たに作成しました。--Bunshi 2008年7月11日 (金) 10:03 (UTC)

ブレームさんの主張は「受章という語は日本語にありません」です。辞書なり文部科学省サイトなりで根拠も出てこの主張が誤りであることが明らかになっていますし、ブレームさんは議論から脱退表明しており、他にこの意見の支持者はいませんので、今後議論せず終結で良いと思います。--プリズム11 2008年7月12日 (土) 00:46 (UTC)
プリズム11さん、レスありがとうございます。ブレームさんは、ノート:川端康成では「『受章』といった語は日本語にありません」、「『受章』といった語は日本語にありません」と繰り返し主張しているのですが、利用者‐会話:ブレームでは「文化勲章は天皇親授ですので『授章』は『天皇が授ける』ではなく『天皇から授けられる』という意味になります」などと主張しているので、(ブレームさんは、ご意見を変えたのだろうか?)と疑問に感じたため、確認のため書かせていただきました。もちろん、ブレームさんの「『受章』という言葉は日本語に存在しない」、「『授章』は『天皇から授けられる』という意味」、どちらの説も日本語として間違っていることに違いはないのですが。それと、プリズム11さん、「ブレームさんは議論から脱退表明して」いるというのは本当でしょうか。ノート:川端康成利用者‐会話:ブレームを読む限り、自説を撤回しているようには見えないのですが……。--Bunshi 2008年7月13日 (日) 03:02 (UTC)改行を修正しました。--Bunshi 2008年8月9日 (土) 22:41 (UTC)
Bunshiさんこんにちは。お手数掛けます。
ブレームさんが自説を撤回したとは思いません。しかし捨て台詞を残して去った以上撤回と看做して良いと思うし、少なくともここで残った者が議論する価値はないという意味です。--プリズム11 2008年7月13日 (日) 14:21 (UTC)
プリズム11さん、ありがとうございます。なるほど。よくわかりました。このノートでは「それであなたが満足感をえられるのなら、どうぞお好きになさいませ」と発言していますし、ご自身の会話ページでは「貴兄はこういった背景のある方なので、護身のためにもあまり深入りしないようにしておきます。桑原々々」と発言していますので、プリズム11さんのおっしゃるように「捨て台詞」と捉えても差し支えないのかもしれませんね。ブレームさんがお戻りになって議論が再開される、あるいは、ブレームさんが同様の編集を繰り返す、という事態になった場合は議論を再開するとして、ひとまず様子見というところでしょうか。また、ブレームさんがこのままお戻りにならなければ、ブレームさんの主張への賛同者は一人もいらっしゃいませんので、この議論もそのままクローズということですかね。--Bunshi 2008年7月13日 (日) 18:52 (UTC)
「天皇親授」という言葉が「授賞」「受賞」の議論をする上で、どう関係するのかよくわかりませんが。そもそも「親授」の「親」とは(みずから)と読みます。自分自身という意味です。ようするに「天皇親授」とは、「天皇ご自身で授ける」という意味です。したがって「授賞」「受賞」についての議論とは、特に関係の無い事だと思いますが。--Kogane 2008年7月21日 (月) 11:26 (UTC)
あのぅ。「天皇親授」という言葉が「授賞」「受賞」の議論をする上で関係があってもなくてもここと関係ない話であり、ここで終了した議論を再開する理由にはなりそうもないと思うのですが。
それはすでにここにいないブレームさんの主張内の話なので、書くならブレームさんの会話ノートが相応しいかと考えます。--プリズム11 2008年7月21日 (月) 13:11 (UTC)
Koganeさんのおっしゃるとおり、私も「天皇親授」と「受章/授章の使い分け」には何の関係もないと思っています。しかし、ブレームさんが「文化勲章は天皇親授ですので『授章』は『天皇が授ける』ではなく『天皇から授けられる』という意味になります」などと主張し始めました。ですので、まずブレームさんの意図を明らかにすべく、「ブレームさんの主張は、『天皇親授の勲章を受け取るときは授章』、『それ以外の勲章を受け取るときは受章』ということをおっしゃっているのでしょうか」と確認させていただいた次第です。また、川端氏の受章時には、文化勲章は天皇親授ではなかったはずです。したがって、ブレームさんは、「受章/授章の日本語の意味」について誤解しているだけでなく、そもそも「文化勲章に対する認識」自体が我々と異なるように見受けられます。議論の前提に齟齬があるのでは議論が成り立ちませんので、ブレームさんに確認する必要があると思い、冒頭のようなコメントをいたしました。--Bunshi 2008年8月9日 (土) 22:41 (UTC)