ノート:南海諸島

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疑問と改名[編集]

「南海諸島」という表記に違和感を覚えました。日本語では南海諸島と言う地名はなかったと思います。スプラトリー諸島(南沙諸島)、マクルスフィールド諸島(中沙諸島)、パラセル諸島(西沙諸島)、プラタス諸島(東沙諸島)を総称する名称はなく、単に「南シナ海の諸島」と呼んでいたと思います。そもそも「南海」は南シナ海の中国語名であり、日本語ではありません。私が「南海諸島」という名称を見たのはwikipediaが初めてであり、これによってこの中国語名が日本語で固定化されることを危惧します。同記事は英語では「South China Sea Islands」(南シナ海の諸島)となっています。

またこの4つの諸島を総称すると言う考え方は、それぞれ近い国が別の諸島として領有権を主張していたものを、近年になって一括して某国が「一つの諸島」として領有権を主張する為の論拠にしている節が感じられます。

もし「南海諸島」が日本語では無いなら、正しい日本語名である「南シナ海の諸島」に改名したいと思います。そもそも事実関係はどうなのか、有識者の方々にお聞きしたく、ご意見をお待ちしています。また別の場所での議論があれば、ご教示ください。--Buckstars会話2013年6月1日 (土) 12:59 (UTC)[返信]

コメント 国際政治学者の浦野起央による南海諸島国際紛争史(1997年)では明治以前から1990年代までの南海諸島について触れていますし、小笠原長生による1904年日本帝国海上権力史講義 - Googlebooksには「海軍ヲ整理スルト同時ニ役員ヲ、南海諸島及ビ沿岸ニ派出サセマシテ沿岸ノ諸邦ヲ巡檢シ...」と書かれています。これ以降の文に南洋諸島という名称も出てくることから南海諸島と南洋諸島は全く別の単語として扱われていることもわかります。従って、南海諸島という地名は日本語の書籍で用いられているようです。--Sorakara023会話2013年6月1日 (土) 22:50 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。「日本帝国海上権力史講義」では「南海諸島」(同書176pにのみ登場)は徳川家光安宅丸などの大船を建造し、当時交易のあった各地方(東南アジア・東アジアの各国向け)に役人を派遣したと言う文脈のため、この場合の「南海諸島」は地名では無いことが明確です。また「南海諸島国際紛争史」では浦野氏の研究には頭が下がりますが、当該4諸島を総称して「南海諸島」と呼び切っているのはこの書のみであり、その他の文献ではそういう例が見つからないため、また地図などで使用されている例も無いようですので、日本語文脈で「南海諸島」と呼ぶのが一般的とまで言えないのではと思います。引き続きご意見をお待ちします。--Buckstars会話2013年6月2日 (日) 06:19 (UTC)[返信]
コメント 「日本帝国海上権力史講義」では「沿岸ノ諸邦ヲ巡檢シ」と記しており、さらに「南海諸島及ビ沿岸」と記していることから「沿岸ノ諸邦(南方の各国)」と「南海諸島」は指すものが異なります。また、論文では南海諸島を巡る領土紛争--歴史的考察を中心として - 田中 聡一郎『中国の軍事戦略--中台関係と東アジアの安全保障』『中国エネルギ-戦略』『南海諸島国際紛争史』 - 片山善雄, 鈴木進, 村井友秀があります。文献では1915年の山崎直方、佐藤伝蔵による大日本地誌巻十: 琉球・台湾において、「...琉球といへるは、現在の沖繩を指すにあらず、閔浙沿岸より舟出して、澎湖・臺灣をはじめ、東北の洋上に横りたる諸島を概稱したるものなるべきは、隋書以下の記事によりて推測するを得べし。これ恰も我國の上代に屋玖といへるは、南海諸島の汎稱なりしとその事由を同じくせり。唐時代には支那人の澎湖に移住する者ありしも、臺灣に至りては全くその消息を詳かにする能わず。...」という記述があります。また、1916年徳富猪一郎による大正政局史論には、「...吾人は我か占領したる南海諸島、及ひ青島を還附せざる可らざるのみならず、...」という記述があり、琉球・台湾考古学は国際政治の犠牲者か? - 角南聡一郎(財)元興寺文化財研究所)において、「琉球と付近の島々の呼称は、明治時代前半には南海諸島と呼ばれることが一般的であった。」という記述があります。この他、南シナ海問題における中国の新動向 - 飯田将史、防衛省防衛研究所でも南海諸島という名称を用いています。「明治時代前半には南海諸島と呼ばれることが一般的であった」という記述通りであるならば、単に領土策定がなされて日本の領土としての関心度が下がったために使用頻度が減ったのではないかと推測されます。私は特段改名に反対というわけではないですが、むしろ100年以上前には一般的な名称であったことを記しておきます。--Sorakara023会話2013年6月2日 (日) 08:27 (UTC)[返信]
Sorakara023さん、ありがとうございます。ということは、「南海諸島」は日本語の文脈では(1)明治時代前半前後に使用されていた琉球と付近の島々の呼称、(2)南シナ海における4諸島の総称、の2種類あり、曖昧回避にするのが妥当と言うことでしょうか。--Buckstars会話2013年6月3日 (月) 05:19 (UTC)[返信]
コメント 厳密には異なります。本文でも触れられている通り、1939年に日本は南海諸島を占領、併合しています。占領という言葉からも分かる通り、この当時の使用法には「沖縄県」や「台湾」は含まれていません。明治時代以前は漠然と琉球以南の島嶼群を南海諸島と呼んでいたが、日清戦争により台湾・澎湖諸島は日本の領土となり、それ以南の部分が南海諸島と呼ばれるようになったと推測されます。ですが、第二次世界大戦後に台湾以南は日本の領土でなくなり、さらに南海諸島自体も中国、中華民国、東南アジアの国々の間で諸島内の地域ごとに異なる国が領有権を主張する事態になっていることから、メディアも全体として統一的に扱う頻度が減り、個別に扱う頻度が増したのではないかということです。防衛研究所のように軍事・地政学的リスクを担当する部門では今も南海諸島という表記を用いている機関は存在しますが、一般的には使用頻度が減っているのではないかと。Buckstarsさんは使用頻度の話をしているのでしょうから、メディアで使用頻度が下がれば用例は減りますし、メディアで使用されない用語を用いる必要性は低いのではないかという考えに積極的に反対はしないということです。--Sorakara023会話2013年6月3日 (月) 06:54 (UTC)[返信]