ノート:プルシリーズ

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2007年2月の議論[編集]

プルはNTとしてはジュドー以上であるとされている様ですが・・・。具体的にこのように明言した制作者の公式な見解が存在しない以上、断定的な表現は避けるべきだと思います。そもそも、「敵を感知する」「サイコミュを操作する」「オーラを発する」等といった能力(描写)は、NTを表現する上での一面的な例に過ぎないわけです。

ジュドーとプルが最初に出会った時点で、既にプルは強化措置を施されており、その能力は一定以上に成長しています。これに対しジュドーは、カミーユやキャラとの接触をきっかけとして、NTとしての覚醒を始めた直後の状態です。プルの存命中、ジュドーがNTの能力を発現させる場面は然程ありませんが、ジュドーの能力が開花を深めていくのは、寧ろプルの死と前後して、その後においての事です。(生の存在としてのプルが失われたため、それまで彼女が担っていた「NT的役割」をジュドーに担わせる演出的な必要性もあったかもしれません。勿論これは私の個人的推測の域をでないものですが、プルが死に、ジュドーが再び宇宙に上がった直後から、その様な描写が増え始めます。)はっきりと言える事柄があるとすれば、「当初の時点で、NTとしての覚醒が進んでいたのはプル」といった具合ではないでしょうか。

また、プルはジュドーの潜在的なNTとしての感性に惹かれて寝返った訳ですから、少なくとも、明らかに自分よりも器が小さいと分かる相手に対して、そのような行動には出るとは(プルの性格上)考えにくいものです。(だからといって、ジュドーの方が優れている、と断言するという事ではないのですが・・・。)

どちらが強い?といった議論はこれに限らず起こりえる事ですが、明確な根拠が存在しない以上は、具体的には書かず、ファンが想像して楽しむ程度に留めた方が良いのではないでしょうか。エポキシパテ 2007年2月15日 (木) 19:59 (UTC)[返信]

基本的にはエポキシパテさんのご意見に賛同します。(特に主役級の)キャラクターの記事に顕著なのですが、どうも主観に基づく人物論の記事となっているものが多いと感じます。本来は演出上の部分は主観によるものが多いので論争にも発展し、あまり記述すべきではないでしょう。少なくとも確実に設定となっているもの(NTである)と演出上の部分(〜より強い、〜より高いNT能力)は見出しを分けて明確に区別するべきでしょう。これだけ書籍があると「〜より高いNT能力」という記述やインタビュー記事があるかもしれませんが、その場合は出展を明らかにするべきでしょう。Worldchampion9899 2007年2月16日 (金) 13:30 (UTC)[返信]

ジュドーは富野監督や制作人の脚本家である鈴木氏もアムロやカミーユに比べたらニュータイプの能力は劣るそのために木星で訓練をさせるとNT誌の87年4月号やアニメディアのインタビュー等で語っています。しかし精神的な逞しさではこの二人を陵駕してることも発言をしています。ジュドーというキャラクターの設定自体がニュータイプとして強いとかそういうことでなく、人としての強さそういうものを描きたかったのではないでしょうか?だから個人的にはプルやハマーンがジュドーに惹かれた理由はニュータイプとしての力ではなく、そういう精神的な強さをもったキャラだったからだと思います。戦闘マシンにしかなれなかったアムロ、ニュータイプ能力が過剰肥大して精神が壊れてしまったカミーユ、そういう二人を反面教師として描いてるためニュータイプとしてはプルのが能力は高いように描かれてる場面があるのではないでしょうか--121.115.149.89 2007年2月16日 (金) 14:57 (UTC)[返信]

ご返信ありがとうございます。作品自体や登場キャラクター、また演出方法には、人それぞれの解釈の仕方があると思います。 空間認知の様な、所謂NT的な能力も精神的な逞しさも、元をただせば「その人間の力」であることに変わりは無いわけで、明確に区分して考えるべきものでもない様に思えます。発するプレッシャーの強さや、MSに搭乗しての戦闘能力といった様な、能力的な適正面での優劣は存在するでしょうが、それにしても具体的な数値といった形で明示されるわけではないので、そこの辺りは作品を観た人間がそれぞれに推測していくしかありません。また、富野監督自身も近年NTの定義について、一つの結論を出されているようですが、本来的な意味でのNTの資質は、先に述べたようなエスパー的な能力の優劣の差をもって論じるものではない様に思えます。(もっとも、その定義からいうと、それまで高い能力を持っていると言われていたキャラクターであっても、NTとしての定義からは外れてしまう恐れのある者もいる様に思える面もあります。また、監督の発言自体も、今後の意向によっては覆る可能性も考えられますが・・・。)勿論、ゲーム等に表現される様な、数値化された能力をもってNTとしての器を量る解釈の仕方も、作品世界の楽しみ方の一つとしてあり得べきものだと思います。様々な解釈の仕方があり、それに応じた楽しみ方が人それぞれにあると思います。ただ、そういった事はウィキペディアに記載するよりは、個人が想像して楽しむ範疇に留めた方が良いと思います。勿論、架空の物語である以上、「主観的判断の全く介在しない客観的な意見」といったものもまた、存在しないとは思いますが・・・。エポキシパテ 2007年2月16日 (金) 16:15 (UTC)[返信]

改名およびプルツーの統合提案[編集]

本項をプル・シリーズに改名し、記事構成を変更して本項にあるプル・シリーズの節を上に移動させ、その節の名前を概要や概説などにした上でプルツーの記述を統合し、プル、プルツーといった各個体の解説を行う形にすることを提案します。また、プルトゥエルブの記述も本項に一部転記という形にしようと思うのですがどうでしょうか。--ヨッサン 2009年2月28日 (土) 07:42 (UTC)[返信]

賛成 賛成いたします。やはり統合した方が把握しやすくなります。--ヘチコマ 2009年2月28日 (土) 12:14 (UTC)[返信]
(コメント)『機動戦士ガンダムUC』のプルトゥエルブの記述を見ましたが記述がそれほど大きくはなっておらず、現状ではUCの登場人物として説明した方がよいと考え、トゥエルブについては軽く触れるに留めておこうと思います。それにしても『フォウストーリー』のジル・ラトキエにしろ、『UC』のトゥエルブにしろアニメ本編のモブやサブキャラの扱いが惨いな・・・--ヨッサン 2009年3月1日 (日) 21:27 (UTC)[返信]
賛成 しかし、エルピー・プルがオリジナルということなので、改名せずにそのままこちらに統合しても大丈夫なのではないでしょうか。--風の旅人 2009年3月5日 (木) 14:01 (UTC)[返信]
プルツーとプルは双子のようにそっくりですが、それぞれ別人です。エルピー・プルという項目名であればあくまでプルの記述を中心としてプルツーについては軽く触れるに留めるべきであり、統合すべきではないでしょう。実在の人物を例に挙げますが朝ドラ『ふたりっ子』の三倉茉奈・三倉佳奈の姉妹は項目名をマナカナとした上で両者を解説しており、どちらか片方の名前を項目名にして2人のことを説明してはいないのと同じことです。 --ヨッサン 2009年3月5日 (木) 20:40 (UTC)[返信]
プルシリーズに改名し、統合しました。--ヨッサン 2009年3月8日 (日) 16:14 (UTC)[返信]
コメント今さらですけど、オリジナルをプルシリーズとして含めてもよかったのでしょうか。私の勘違いかもしれませんが、「プリシリーズ」はクローン達に用いられる呼称なのでは?--風の旅人 2009年3月8日 (日) 16:28 (UTC)[返信]

プルを第1号をしているから、「プル」シリーズなんでしょう。プルのクローン達に用いられるのなら「プルクローン」シリーズなり、プルのレプリカということで「PRシリーズ」といった呼称になると思いますが。--ヨッサン 2009年3月8日 (日) 20:31 (UTC)[返信]

一部転記提案[編集]

「マリーダ・クルス」というキャラクターが「プルシリーズ」の一員であること、『機動戦士ガンダムUC』のサイズが以前と比較して肥大化しつつあることから、『プルシリーズ』で記述するほうが適当と考え、『UC』の「マリーダ・クルス」に関する記述の本項への転記を提案いたします。--F.M.H 2011年9月2日 (金) 09:39 (UTC)[返信]

  • コメント(賛成寄り) 本稿の改名提案を出してプルツーを統合した際、「UC」の記事からマリーダ・クルスの記述を一部転記することを一旦考えたものの、当時はまだ記述が少なかったことを考慮して見送りとしましたが、そろそろこちらに転記をしてもいいかもしれません。それはさておき、「UC」もだいぶ記事サイズが大きくなっているので機動戦士ガンダムUCの登場人物の作成を検討したほうがいい時期に来ているように思いました。--ヨッサン 2011年9月2日 (金) 12:26 (UTC)[返信]
  • コメント(賛成寄り)俺も賛成です。--ユーヤ・エメリヤーリエンコ 2011年9月2日 (金) 13:10 (UTC)[返信]
  • コメント 確かに『UC』から登場人物すべてを分割して登場人物記事を作成しても、多少の整理を行うにしろマリーダの記述は増えるでしょうからいずれこちらへの転記という案が出てくることでしょう。ザビ家も多くは『機動戦士ガンダム』の登場人物でミネバも赤子として登場していますが、『ガンダム』の登場人物というよりは『Z』や『ZZ』、そして『UC』の登場人物というイメージが強いですし。そうしたことを踏まえればマリーダの記述を本稿に転記というのは妥当でしょう。なお「機動戦士ガンダムUCの登場人物」については当方がこうしたほうがいいのでは、という意見であって正式に分割提案として出しているものではないので念のため。--ヨッサン 2011年9月5日 (月) 20:04 (UTC)[返信]
  • コメント表立った反対意見がなかったので、一部転記を実行いたしました。基本的に本項の体裁に合わせたのと、リンク修正を行っただけですので、改良の余地はまだまだあるかと思います。--F.M.H 2011年9月18日 (日) 10:17 (UTC)[返信]

劇中描写と異なる記述の資料の扱いについて[編集]

『週刊ガンダム・モビルスーツ・バイブル』第135号では、マリーダ・クルスがリディ・マーセナスに対して説得を繰り返した、とあるそうですが、アニメ『機動戦士ガンダムUC』劇中での描写ではそうなっていません。

『UC』劇中描写では、まずオードリー・バーンが祈るようにリディに呼びかけ、それが(ニュータイプの共感として)リディに届いています。その後、クシャトリヤの前に手を開いて立ちはだかるマリーダのイメージが現れて呼びかけ、次いで現れるオードリーの声と重なり、ジンネマン、アルベルトらのイメージも次々と現れます。そして、オードリーのイメージが手を差し伸べますが、そのときにはマリーダのみ消えています。リディも手を伸ばしますが我に返り、オードリーへの恨み言を言いながらクシャトリヤにビーム・マグナムを撃ち込みます。

以上、できるだけ客観的に映像を文字に起こしてみました。マリーダが説得したと言えなくもない描写はないわけではないですがマリーダ「だけ」ではありませんし、「繰り返した」とは言えません。また、説得の主体(およびリディの恨みの主体)はオードリーであり、マリーダではありません。したがって、『MSバイブル』の当該記述は正確さに欠けていると言わざるを得ません。むしろ「オードリーがリディに対して説得を繰り返した」のほうが劇中描写に近いので、オードリーとマリーダを間違えた可能性もあります。

Wikipedia:スタイルマニュアル/フィクション関連では、フィクション作品を記事にする場合は「一次情報と二次情報の両方を情報源として使用することが必要です」としています。ここでいう一次情報とは「フィクション作品そのもの」です。また、「フィクションに関する記述は常にフィクション作品そのものを情報源として使用します」ともあり、当然ですが一次情報のほうが二次情報より優先されます。正確さに欠ける二次情報を正当化するために、無理矢理一次情報をこじつけるのは本末転倒です。

『MSバイブル』という資料自体が信憑性に欠けるとは言いませんが、当該記述に関しては出典として扱うべきではありません。扱うにしても、注釈で「…とする資料もある」とし、異説として取り扱うべきです。--シュウ66会話2023年11月23日 (木) 23:12 (UTC)[返信]

シュウ66さん自身も「できるだけ客観的に映像を文字に起こしてみました」とおっしゃっているように、上記の記述はあくまで(Wikipediaの1ユーザー=一般人である)シュウ66さんが映像を見て文字おこしした文章であり、『一次資料』ではありません。私としては、できるだけ客観的に映像を見た上で、『MSバイブル』の記述は十分なものだと思いました。--TFhhtt会話2023年11月27日 (月) 01:41 (UTC)[返信]
  • 映像を見て文字おこしした文章であり、『一次資料』ではありません。私としては、できるだけ客観的に映像を見た上で、『MSバイブル』の記述は十分なものだと思いました。→私も確認を兼ねて休日に久々に鑑賞しましたが、説得の主体はミネバであり、大筋はシュウ66さんの言う通りでしたので、シュウ66さんを支持します。

また、TFhhttさんは過去の利用者‐会話:TFhhtt#ジェネレーターについてノート:アナハイム・エレクトロニクスなどの会話やノートでも他人の言葉を独自解釈、出典を確認せずに言葉を独自解釈する事が多く、ユニコーン・ガンダムザンスカール帝国の機動兵器でも劇中描写から編集していることも多く、発言が矛盾しています。 過去の行いから、どちらが信用出来るかは明らかだと思います。--型番型パン会話) 2023年11月27日 (月) 10:14 (UTC) 取り消し線。--おっふ会話2023年12月26日 (火) 04:18 (UTC)[返信]

わざわざ改めて言うことではないですが、劇中描写を解説(文章化)している資料がない場合は、ユーザーがまとめた文章を載せるのは当然ですし、だからこそ多数のユーザーが推敲を重ねてより良い文章にしていくのがWIKIPEDIAです。ですが、今回は発行された資料に基づく文章があるため、「検証可能かどうか」に依って、個人の感想文ではなく、出典からの文章を記述しています。
「出典付きの文章を消してはいけない」という基本は、まさにシュウ66さんが何度もおっしゃっていることで、私もその旨の指摘を受けてからは、出典付き文章を(意味が通らなくなる形で)削除や、自分の感想文を優先させたことはありません。--TFhhtt会話2023年11月27日 (月) 13:18 (UTC)[返信]

私の方針としては上記のとおりですが、型番型パンさんという第三者がシュウ66さんのご意見に賛同されたのも事実のため、シュウ66さんの記述をベースとする形に変更したいと思います。具体的には現行の版の「マリーダは説得を繰り返し、」の部分を注釈化して、本文はシュウ66さんの記述から「マリーダはミネバらとともに彼に感応して説得し、」に変更するのでいかがでしょうか?--TFhhtt会話2023年11月27日 (月) 14:00 (UTC)[返信]

今週末には返信いたしますので、もう少しお待ちください。--シュウ66会話2023年11月30日 (木) 09:18 (UTC)[返信]
返信 (TFhhttさん宛)
> シュウ66さんが映像を見て文字おこしした文章であり、『一次資料』ではありません
繰り返しになりますが、一次情報とは「フィクション作品そのもの」であり、今回の場合は『機動戦士ガンダムUC』というアニメ作品になります。アニメは映像であり、映像の情報をWikipediaに記述するには「文字起こし」が唯一の方法ですので、これを「一次情報ではない」とするのは無理があります。Template:Cite videoTemplate:YouTubeなど映像を出典とするためのテンプレートが複数存在するのも、その証明となるでしょう。
ガンダムシリーズのようなメジャーな作品はともかく、世の中には副読本や設定資料集などが存在しないフィクション作品(アニメ、ドラマ、漫画など)がごまんとあります。そういった作品をWikipediaの記事にする場合はほぼ「文字起こし」のみで構成されることになります(正確には、ほかに現実世界の情報が記述されますが)。
> 劇中描写を解説(文章化)している資料がない場合は、ユーザーがまとめた文章を載せる
> ですが、今回は発行された資料に基づく文章があるため、「検証可能かどうか」に依って、個人の感想文ではなく、出典からの文章を記述しています
その考え方は、一次情報より二次情報を優先していることになります。その二次情報にも「検証」が必要です。前回のコメントの通り、「マリーダがリディに対して説得を繰り返した」というのは一次情報(映像)からは検証できません。
二次情報での「設定」と「劇中描写」は異なるものです。おおまかに言えば「設定」は劇中描写だけでは分からない情報、そして「劇中描写」はライターによる「文字起こし」でしかなく、我々による「文字起こし」と大差ありません。ライターは「神様」ではありません。『MSバイブル』だけでなく、『ファクトファイル』や『パーフェクトファイル』といったディアゴスティーニ系の分冊百科では特にこの2つが混ぜこぜで記述されることが多いですが、分けて扱うべきです。
> 「出典付きの文章を消してはいけない」という基本は、まさにシュウ66さんが何度もおっしゃっていることで
指摘した記憶はあるのですが、「何度も」しましたっけ?複数あるならそれぞれの編集を教えてください。
ただ、TFhhttさんは「出典付きの文章を消してはいけない」→「出典があれば消されない」→「出典があれば何を書いてもいい」と曲解し、映像を見れば明白な記述にも出典を付けたり(これは今回の考え方とも関連しますが)、書かなくてもほかの記述から導き出せることを出典付きで記述している傾向が見られます。
また、「…とみられる」「…と思われる」「…と考えられる」などライターの推測で書かれている記述は、出典があっても百科事典であるWikipediaに必要とは思えません。どうもTFhhttさんは『MSバイブル』ほか自分が購入した書籍の情報を何でもいいから数多く出典に加えることを目的としてWikipediaを編集しているふしがあります。
> 私の方針としては上記のとおりですが、型番型パンさんという第三者がシュウ66さんのご意見に賛同されたのも事実のため、シュウ66さんの記述をベースとする形に変更したいと思います
これが一番意味がわかりません。TFhhttさんがこれまで語ってきた編集方針は、第三者が対立する立場(私)のほうに賛同すれば、簡単に放棄できる程度のものなのですか?それなら最初から編集の差し戻しや議論をする必要はないのでは?
一応申し上げておきますが、TFhhttさんに「前言撤回」をうながしている訳ではありません。
> 本文はシュウ66さんの記述から「マリーダはミネバらとともに彼に感応して説得し、」に変更するのでいかがでしょうか?
前回コメントした通り、説得の主体はオードリー(=ミネバ)であり、マリーダが積極的に説得しているようには見えないんですよね。「心が伝わる」とリディが言っているように、ほかのキャラも含め、想いはミネバと同じであることをリディが感じ取っているように見えます。したがって、マリーダの記事に「説得」云々を記述する必要はなく、ミネバの記事に書けばいいのではないかと思います。どうしても『MSバイブル』の記述をマリーダの記事に注釈として加えたいのであれば、「この戦闘の中で、マリーダがリディに対して説得を繰り返したとする資料もあるが、劇中ではおもにミネバが説得を繰り返している」といった感じでしょうか。
返信 (型番型パンさん宛) コメントありがとうございます。TFhhttさんとふたりだけだと議論がかみ合わない場合がほとんどなので、今後も積極的にご意見いただけると助かります。…ただ、今はいい方向に進むことを願っております。
型番型パンさんの件でこちらの議論に目を通された方も多いと思いますので、是非とも第三者としてのご意見をコメントしていただければと思います。--シュウ66会話2023年12月1日 (金) 11:39 (UTC)[返信]
わかりました。では、シュウ66さんの言う通り、説得関係を丸ごと削除し、
「サイコフレームによって怒りを増大させられたリディに対して、その精神が怒りと恨みに囚われていると感じ取ったことで、あえて彼のビーム・マグナムの一撃を正面から受けとめ」
として、注釈は
「マリーダがリディに対して説得を繰り返したとする資料もある」
にするのはいかがでしょう?--TFhhtt会話2023年12月1日 (金) 12:53 (UTC)[返信]
一点だけ。第三者が対立する立場(私)のほうに賛同すれば〜とのことですが、議論で直接対立している相手ならともかく、『第三者』が公平な立場から一方に同意を示しているのですから、その方向に自分の意見を寄らせるのは当然ではないでしょうか?少なくとも自分は、何があっても自分の意見を変えない=自分の意見に(勝手に)絶対の自信を持って周りが見えなりいつまでも納得しないのはできるだけ避けるべきと考えています。--TFhhtt会話) 2023年12月1日 (金) 12:59 (UTC)追記--TFhhtt会話2023年12月1日 (金) 13:09 (UTC)[返信]
> わかりました
何が「わかった」のかが分かりません。私の指摘をすべて受け入れていただけたということでしょうか、何度も同じ議論をしたくないので。具体的には、
・映像の「文字起こし」は一次情報である
・二次情報を一次情報より優先しない
・自分が購入した書籍の情報を何でもいいから数多く出典に加えることを目的としてWikipediaを編集しない
の3点です。
> 議論で直接対立している相手ならともかく、『第三者』が公平な立場から一方に同意を示しているのですから、その方向に自分の意見を寄らせるのは当然ではないでしょうか?
つまり、
・直接対立している相手(私)のみの意見は聞き入れない
・しかし、上記であっても第三者(型番型パンさんのようなTFhhttさんに牙をむく人であっても)が同意すれば聞き入れられる
ということでしょうか?これなら私が疲弊する訳です。型番型パンさん、どんどん私の指摘に賛同してください(笑)
> 少なくとも自分は、何があっても自分の意見を変えない=自分の意見に(勝手に)絶対の自信を持って周りが見えなりいつまでも納得しないのはできるだけ避けるべきと考えています。
これはおそらくノート:アナハイム・エレクトロニクス#「会長一族」と「社長」は矛盾しないとする根拠についてで私が第三者の意見に迎合しなかったことを揶揄していると思われますが、ひとりの第三者の意見が絶対と私は思いませんし、根本はTFhhttさんの「物語世界内の観点」と大して変わらない考え方だったので受け入れられません。いずれ井戸端などで決着は付けるつもりです。--シュウ66会話2023年12月1日 (金) 14:43 (UTC)[返信]
今回『わかった』のは、シュウ66さんの書き起こした部分のアニメ描写が、公平な視点から、正確(とまで言うのはいきすぎですが)に文章化されているということです。第三者(型番型パンさん)も、この部分の描写についてシュウ「休日に久々に鑑賞しましたが、説得の主体はミネバであり、大筋はシュウ66さんの言う通りでした」と同意=正確さを担保しておられますので。
そういう意味では、シュウ66さんが上で挙げた「3点」にはいずれも同意するものではないです(そのように範囲の広い方針、思想は、それこそ井戸端等で意見をつのってください)。--TFhhtt会話2023年12月1日 (金) 15:00 (UTC)[返信]
> 今回『わかった』のは、シュウ66さんの書き起こした部分のアニメ描写が、公平な視点から、正確(とまで言うのはいきすぎですが)に文章化されているということです
ということですので(「個人の感想文」呼ばわりからこれは困惑しかないですが)、
> 注釈は「マリーダがリディに対して説得を繰り返したとする資料もある」にするのはいかがでしょう?
「マリーダがリディに対して説得を繰り返したとする資料もあるが、劇中ではおもにミネバが説得を繰り返している」で合意します。型番型パンさんも、いかがでしょうか?
> 説得関係を丸ごと削除し、「サイコフレームによって怒りを増大させられたリディに対して、その精神が怒りと恨みに囚われていると感じ取ったことで、あえて彼のビーム・マグナムの一撃を正面から受けとめ」として
これはそのまま合意します。
> シュウ66さんが上で挙げた「3点」にはいずれも同意するものではないです
結局反発するだけで、「自分の編集方針を論理的に説明できない」ということですよね?
今回私が指摘した問題ある編集を今後も繰り返すようであれば、また私がコメント依頼を提起する用意があります。今であればより多くの第三者の方々からご意見をいただけるかと思います。--シュウ66会話2023年12月3日 (日) 23:14 (UTC)[返信]
コメント依頼等を提出することは、私からどうこう言う事ではないため、シュウ66さんのお気のすむようにご自由にしてください。--TFhhtt会話2023年12月3日 (日) 23:15 (UTC)[返信]
同意に基づいて本文を編集しました。この形でよろしければ、本項を終了ください。--TFhhtt会話2023年12月4日 (月) 00:39 (UTC)[返信]
私から指摘するのはどうかとも思ったのですが、いかに型番型パンさんが「TFhhttさんに牙をむく人」=シュウ66さんの意見に賛同してくれる可能性が高い人であったとしても、12月1日8:25の時点で『Wikipedia:コメント依頼/型番型パンが第三者から出され、ブロック破りのソックパペットとして多くの指摘を受けているアカウントに同意を呼びかけるのは中立な議論とは言えませんよ。--TFhhtt会話2023年12月4日 (月) 03:24 (UTC)[返信]
編集確認しました、ありがとうございました。
> 『Wikipedia:コメント依頼/型番型パンが第三者から出され、ブロック破りのソックパペットとして多くの指摘を受けているアカウントに同意を呼びかけるのは中立な議論とは言えませんよ
いやいや、これはTFhhttさんのほうが中立ではないですよ。いくら疑いがあるとしても、最終的な裁定が下されるまでは我々と同じ「いち編集者」です。
終了 とりあえず終了としますが、TFhhttさんがまだ言いたいことがあればどうぞ(返信はしないかもしれませんが)。--シュウ66会話2023年12月4日 (月) 04:19 (UTC)[返信]
  • 報告 「型番型パン」は無期限ブロック(Nikodayさんのソックパペットと推定)となりました。念のために申し上げておきますが、「型番型パン」がブロックされたことよって、TFhhttさんの主張に正当性ないし妥当性があると認められたわけではありませんから、その点はご留意ください。--おっふ会話2023年12月26日 (火) 04:18 (UTC)[返信]