ノート:フレグ

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フラグじゃねぇの?

欧米系の論文やサイトでHulaguとしているのは『集史』や『世界征服者史』といったペルシア語などの資料での هولاكو Hūlākūという綴りをそのままローマ字に起こしただけのもので、中世モンゴル語の研究などでは語頭の-u-はモンゴル語のいわゆる女性母音-ü-になるので、ローマ字に転写した場合、Hülägü/Hülegüになるのだそうです。真ん中の音節の-lä-は、母音調和の関係上これも女性母音になるので音としては[e]になるそうですが、アルタイ学関係ではウイグル文字などでの「アレフ」には[a]とその女性母音に相当する[e]の音が当てられているため、それぞれa/äとして区別しているとか。そのためHülägüと書いてあってもフレグと読ませるのだそうです。(どなたか「ヒュレギュ」と表記していた研究者の方がおられたような・・・)Haydar 2006年11月16日 (木) 21:50 (UTC)[返信]

発音[編集]

Haydar氏、あなたはこの編集[[1]]において「中期モンゴル語文の正書法に合致せず史料上の表記とも異なる為」という理由でrvされました。"ᠬᠦᠯᠡᠭᠦ ᠬᠠᠨ"のモンゴル語表記が異なるのでしょうか?それとも転写の"qüleγü"を異なると言っているのでしょうか?貴方が正しいとされる表記とは何でしょうか?もし、上記「Hülägüの発音」に関する議論のような正確な発音についてでしたら、転写文字の情報からは必ずしも再現できる訳ではないのですから、モンゴル文字に書かれているような公的に認められているIPA発音記号を使って正確に発音を別途記載するべきです。中世モンゴル語ではこう発音するというのであれば、その研究者のIPA発音を記載するべきです。なお、各国語版ともフレグの発音は記載していないので、他国語版にも貢献できると思います。--119.83.111.72 2013年12月27日 (金) 14:16 (UTC)[返信]

119.83.111.72さん Haydarです。ご質問の件については自分のところのノート(利用者‐会話:Haydar#天山ウイグル王国について)で述べましたのでそちらをご参照願います。
改めて119.83.111.72さんが編集された"ᠬᠦᠯᠡᠭᠦ ᠬᠠᠨ" "qüleγü" の表記の問題についてですが、問題の性格上、中期モンゴル語、というよりもモンゴル帝国時代のウイグル文字モンゴル語の正書法については三省堂『言語学大辞典』(「別巻 世界文字辞典」)や斎藤純男『中期モンゴル語の文字と音声』(松香堂書店、2003年2月))などの記述を踏まえた上で議論すべき事柄であると思います。その上で119.83.111.72さんの ᠬᠦᠯᠡᠭᠦ qüleγü あるいは"ᠬᠦᠯᠡᠭᠦ ᠬᠠᠨ" qüleγü qanはおおよそモンゴル文字(のフォント)の綴りは正確にラテン文字転写出来ていると思います。
 しかし、「おおよそ」は合ってはいますが、この綴りが13世紀に生きたトルイ家の王子フレグを示す表記として妥当かというと、それには異を唱えざるを得ず、119.83.111.72さんの編集の削除理由として「中期モンゴル語文の正書法に合致せず史料上の表記とも異なる為」と書いたのはそれなりの根拠がありまして、第1はフレグやその子孫が生きていたモンゴル帝国時代の「中期モンゴル語文の正書法に合致」しない事、第2はそのフレグのウイグル文字表記が記載されている「史料上の表記とも異なる」事です。
 第1の問題として、この ᠬᠦᠯᠡᠭᠦ というモンゴル文字表記の綴りの第3音節にあたる部分の文字(ᠭᠦ)が、当時の正書法からするとまず見られない綴りである事が、自分にはこの表記の正当性にはなはだ疑問を感じさせます。『中期モンゴル語の文字と音声』「別巻 世界文字辞典」のウイグル文字やモンゴル文字の項目にも述べられていますが、テュルク・モンゴル語では周知のように単語の第1音節の母音の音韻に従って第2音節以下の母音は第1音節の母音に引きずられて変化する母音調和の原則に支配されていますが、13世紀前後のウイグル語(というよりもより広くテュルク語)やモンゴル語のウイグル文字表記では、いわゆる「女性母音」(主に/ö/, /ü/)が第1音節であった場合でも第2音節以下ではそれが表記上に反映されず、男性母音(/o/, /u/)と同じ表記で貫徹されてしまう特徴があります。(そのため、中期モンゴル語のウイグル文字表記では同表記異音異義語が多くパスパ文字はこれらをかなりの程度是正できるものでした)
すなわち、(中期モンゴル語というよりも前近代の)テュルク・モンゴル語のウイグル文字(モンゴル文字)表記では、単語の第1音節が「女性母音」(/ö/, /ü/)であった場合、ö-, ü- は ' (アレフ)+ w(ヴァヴ)+ y (ヨッド)あるいは -ö-,-ü- では ヴァヴ(w)+ヨッド(y)で表記されますが、第2音節以下では ヴァヴ(w)のみで書かれ、第2音節以下がヴァヴ(w)+ヨッド(y)の形で表記される例は殆どない、との事です。(ただし、実際には単語の第1音節が「女性母音」であってもヴァヴ(w)のみで書かれる例もかなりあるとの事)
そのため、119.83.111.72さんの書かれた ᠬᠦᠯᠡᠭᠦ は qüleγü の部分が ヴァヴ(w)のみで本来書かれるはずが、前近代の表記ではまず見られない ヴァヴ(w)+ヨッド(y)の形になっているのが問題です。このため、 ᠬᠦᠯᠡᠭᠦ はウイグル文字で書かれた中期モンゴル語資料に基づいた表記なのか疑わざるを得ないのです。「中期モンゴル語文の正書法に合致せず」と書いたのはそのためです。
 第2のそのフレグのウイグル文字表記が記載されている「史料上の表記とも異なる」点ですが。自分がフレグのウイグル文字表記として参照しているのは『五族譜(Shu`ab-i Panjgāna)』という『集史』の情報を元にして編纂されたと思われる系図資料(のコピー)でして、トルコ・イスタンブールトプカプ・サライ博物館に蔵されている写本一冊しか現存していない稀覯本ですが、モンゴル帝国史研究では欠く事の出来ない貴重な資料で『モンゴル時代史研究』(1991年)を書かれた本田実信先生や『モンゴル帝国史研究序説』(1995年)『モンゴル帝国史研究 正篇』(2013年)を上梓されている志茂碩敏先生、杉山正明先生など、最近でもジョチ・ウルス関係の研究で有名な『ジュチ裔諸政権史の研究』(2006年)の赤坂恒明先生などによって利用されて来た資料で、主にモンゴル帝国時代の部将たちの情報を精査する1次資料として使われて来たものです。この資料のなかでトルイの息子フレグのウイグル文字表記が2カ所、フレグ自身の項目とフレグの父トルイの項目の系図にそれぞれ記載されているのです。(「フレグ」の人名要素を持つ人物として、チャガタイ家のカラ・フレグ قرا هولاكو Qarā Hūlākū がいますが、残念ながら『五族譜』でのウイグル文字表記は確認出来ませんでした)
 119.83.111.72さんの書かれた ᠬᠦᠯᠡᠭᠦ は qüleγü の文字綴りをアルタイ学関係で一般的なラテン文字に置き換える形式に従うと、
qwyl'qwy q(コフ)+ w(ヴァヴ)+ y (ヨッド)+ l(ラメド)+ ' (アレフ)+q(コフ)+ w(ヴァヴ)+ y (ヨッド))となりますが、『五族譜(Shu`ab-i Panjgāna)』では、
'wl'kw  ' (アレフ)+ w(ヴァヴ)+ l(ラメド)+' (アレフ)+ k(カフ)+ w(ヴァヴ)
 となっており、全く綴りが異なっています。これがモンゴル帝国時代前後のウイグル文字に依る中期モンゴル語の別表記では無い事は、『中期モンゴル語の文字と音声』「別巻 世界文字辞典」でも述べられているとおり中期モンゴル語の /h/音をウイグル文字では表記出来なかったため ' (アレフ)、 w(ヴァヴ)、 y (ヨッド)のみで書いていた事から推測出来ますが、少なくとも『五族譜(Shu`ab-i Panjgāna)』の記述と119.83.111.72さんの書かれた ᠬᠦᠯᠡᠭᠦ は qüleγü は合致していません。(ただ、自分が見た印象では『五族譜』の写字生は 'wl'kw と書くべきところを第1文字を mwl'kw と書き間違えているんじゃないかと思えるのですが…)現在フレグはHulagu や Hülegü、Hülägü にしても語頭の /h/ が表記されていますが、これはフレグ存命中やイルハン朝時代に書かれた『集史』『世界征服者史』等で هولاكو‎ Hūlākū と書かれている事から『元史』等の「旭烈兀」から併せて推定されたものだと思います。中村雅之氏が「中期モンゴル語の/h/について」 (『KOTONOHA』第97号 古代文字資料館発行、2010年12月). http://www.for.aichi-pu.ac.jp/museum/pdf7/nakamura97.pdf にて実際の中期モンゴル語では既に/h/音が消滅していたのではないかと論じられているようですが、それを勘案しても119.83.111.72さんの書かれた ᠬᠦᠯᠡᠭᠦ は qüleγü はその論文の主旨とも合致しません。前近代のウイグル文字(モンゴル文字)では k や qは音価を異にすると文字であり、 k は/k/, /g/ 音であり q は/q/, /χ/, /ɢ/(γ) 音で表されていました。(一応、有点の もありましたが、時代を下るに連れて/q/, /χ/, /ɢ/(γ) 音の文字上の弁別や使用頻度が下がっていった様子は『ウイグル=マニ教史の研究』等々で森安孝夫先生も指摘されていた事かと思いますが) 近現代のモンゴル語はこれらの文字上の問題に加えさらにモンゴル語自体の音韻上の変化も加わるため事情は複雑になっています。
 以上の2点の問題から119.83.111.72さんの表記は「中期モンゴル語文の正書法に合致せず史料上の表記とも異なる」と判断せざるを得ません。そのため、119.83.111.72さんが13世紀に生きた人物フレグの表記として ᠬᠦᠯᠡᠭᠦ qüleγü という綴りを採用された史料的根拠を明示される必要があります。
 以上はモンゴル帝国時代の中期モンゴル語やウイグル文字表記など文字と歴史言語、史料上問題から削除を行ったもので、現代モンゴル語については基本的に考慮しておりません。現代のモンゴル語(モンゴル文字)でフレグがどのように表記されているかはそもそも存じません。フレグの現代のモンゴル語(モンゴル文字)での表記を本項目に入れる必要性があるかどうかといった事は別途議論すべき問題であると考え、今回は問題とはしていない事を予め述べておきたいと思います。--Haydar会話2014年1月11日 (土) 12:22 (UTC)[返信]
 追記:以上の理由から史料的根拠(史料的に百科事典的に妥当なもので)が提示されるまで[要出典]タグを添付致しましたので宜しくお願いします。--Haydar会話2014年1月11日 (土) 13:52 (UTC)[返信]

インデントを戻します。Haydarです。119.83.111.72さんへのコメントをお返ししてから一ヶ月程経ちましたが、119.83.111.72さんからの ᠬᠦᠯᠡᠭᠦ qüleγü 表記の出典に関するお返事が頂けていません。今もって119.83.111.72さんの編集の史料的根拠に瑕疵有りと判断せざるを得ませんので、史料的提示がなされない場合は今後一週間以内に当該部分を一旦削除し、(個人的には年代的な確実性に欠ける為あまり気が乗らないのですが)フレグのウイグル文字(モンゴル文字)表記を付ける場合は『五族譜』での表記 ᠤᠯᠡᠺᠤ 'wl'kw を採用することと致します。(ただし、確実にモンゴル帝国時代の表記だと史料的に証明出来る『世界征服者史』や『集史』での هولاكو Hūlākū や『元史』や『南村輟耕録』等の「旭烈兀」に対して、『五族譜』という資料は正確な成立年代が不明であるので、『五族譜』上にある ᠤᠯᠡᠺᠤ 'wl'kw という綴りが「フレグ」の13、14世紀のウイグル文字表記であると断言出来るかは微妙である事は予め明確に指摘しておかねばなりません) --Haydar会話2014年2月15日 (土) 01:38 (UTC)[返信]

Haydarです。告知から二週間余り経ちましたが、特に異論等がありませんでしたので、告知通りに記事冒頭部分の改訂(および若干の加筆)を致しました。--Haydar会話2014年3月4日 (火) 16:57 (UTC)[返信]