ノート:ジョゼフ・フーシェ

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参考文献を関連書籍に変更した理由[編集]

先ほど、「ジョセフ・フーシェ」の記事にあった参考文献を、1冊を残して「関連書籍」の節に移しました。理由は下記のとおりです。

これらの書籍(『ジョゼフ・フーシェ』、『ジョゼフ・フーシェ 政治のカメレオン』、『ナポレオン フーシェ タレーラン 情念戦争1789-1815』の3冊のように書かれていましたが、実際は同タイトルの異なる本があるなどで、情報を整備したところ5冊になりました)はもともと、「フーシェを扱った書籍」の節にフィクションの書籍と一緒に記載されていました。その後、Ami du Peupleさんによる2012年6月19日 06:32 UTC での編集において、「参考文献」の節が設けられ、そこへ「書籍」の節から前述の3冊の書籍を移動しました。

その後、利用者:Libertas会話 / 投稿記録さんによる2012年7月17日 10:00 UTCの編集において、『反ナポレオン考』が参考文献として追加されました。

その後さらに、利用者:さっくりさん会話 / 投稿記録さんによる2012年12月29日 05:25 UTCの編集において、「ツヴァイク『ジョセフ・フーシェ』(『西部邁と佐高信の快著快読』に収録)が参考文献として追加されました。

Ami du Peupleさんの編集では、2回にわたって相当量の加筆がありましたので、加筆の際に実際に参考にした3冊の書籍を参考文献の節に移したと思われました。しかし、編集の差分を見ますと、まず、参照したページ番号を本文中に脚注形式などで明記していません。また書誌情報を機械的に移動しただけです。これだけでは、この方が実際にその本を参考にして加筆した確信を持つことができません。何よりも、『ジョゼフ・フーシェ』という同タイトルの岩波文庫とみすず書房の書籍は、鹿島茂氏の著書のように一方が後にもう一方に改変されたのではなく、訳者の異なる別の書籍でした。著者が同じだからとまとめて記載して良いとは当方には思えません。聖書のように章などを挙げるだけで足りる性質の書籍とも思えないのです。Ami du Peupleさんは2014年頃から活動されていないようですので、今後Ami du Peupleさんがこれらの4冊の書籍の、出典としたページを記載してくださる期待も持てませんので、これらの書籍は「参考文献」ではなく「関連書籍」の節に移させていただきます。なお今回の当方の編集は、今後どなたかが関連書籍にあるこれらの書籍を参考にして加筆された場合に当該書籍を参考文献の節に戻すことを妨げるものではありません。

次に、さっくりさんさんの編集では、『西部邁と佐高信の快著快読』が{{Cite book}}が使用した上で参考文献の節に追加されました。しかし、この方は、記事に有意な加筆をすることなく、ただ書籍名を記載しただけでした。またこの方は、7分後にはシュテファン・ツヴァイクの記事にも同じ書籍名を参考文献として書き込んでおり、また、「西部邁」の記事も頻繁に編集されているようでしたので、単に西部邁氏の著書を書き込んだだけという印象を受けました。そのため、この書籍も「関連書籍」の節に移させていただきました。

そして、Libertasさんの編集では、『反ナポレオン考』が参考文献に追加されました。編集の差分では{{要出典範囲}}で指摘された箇所の出典を示すために、出典となる書籍を挙げた上でテンプレートを除去したように見受けられます。そのため、『反ナポレオン考』は参考文献の節に残しました。

しかし、『反ナポレオン考』の場合、加筆時に実際に参照したページ番号が本文中に明記されておりません。そのため、当方は、本当にこの書籍が参考文献なのだろうかと強い疑問を持っております。Libertasさんは書籍を挙げるにあたって、要約欄に「少しは勉強してから「要出典」を入れましょう。この程度の出典は誰でも参照できるはずです。」と書かれましたが、加筆者ご自身が、ご自分が参照した本のページを出典として明記できなかったのはなぜなのでしょうか? Libertasさんは現在は利用者:Hellsehen会話 / 投稿記録さんとして活躍されておりますので、いずれご自身で出典のページを明記されることでしょう。それまでの時限措置として、{{要出典範囲}}を復帰させました。

最後に、Wikipedia:出典を明記するにある参考文献の説明文を引用させていただきます。

  • 参考文献の節には、記事の内容を裏付ける実際に参考にした文献を挙げてください。項目に関連する読者の参考になりうる書物については、「関連書籍」などとセクション名を分けて区別してくださると、記事の内容を検証するうえで助かります。

今回の編集の理由の説明は以上です。--Æskja会話2015年4月5日 (日) 13:04 (UTC)[返信]

コメント Wikipedia:出典を明記する#出典の示し方に「末尾に記事全体に関する参考文献として一覧で挙げる方法(general reference)」が紹介されているように、参考にした文献をページ数まで書くことは別に義務ではないです。このように あらゆるテンプレートを使って「ページ数を記せ」ということを指示してしまっては、書いた方も圧力と感じてかえって協力する気を失くしてしまうんじゃないでしょうか。
一部が脚注化され一部が脚注化されていない、という状態は中途半端ですのでこの記事に{{脚注の不足}}を付与することは問題ないと思いますが、これに加えて{{参照方法}}や脚注節に{{節スタブ}}を追加するのは明らかに過剰です。まず{{参照方法}}ですが、ノートページ等で指摘されているように{{脚注の不足}}と機能が重複しており、事実上同じテンプレートを2回使っていることになります。また{{参照方法}}、{{脚注の不足}}ともに節に使う際には「節の冒頭に」と明記されており、文献一覧の途中に入れるような使い方は想定されていません。
また脚注節についてですが、脚注というのは言うまでもなく本文に脚注を入れることによって生じるものです。脚注節を加筆することによって作られるものではないのですから、この節に加筆を促すテンプレートを入れるのはそもそもおかしいでしょう。Wikipedia:利用案内#「脚注」節に節stubを貼る編集についてにも最近同じ指摘があったようです。
{{出典の明記}}や{{要出典範囲}}も、脚注化のことを言っているのでしょうから合わせれば5種のテンプレートを用いて「脚注を増やせ」と言っていることになります。テンプレートの過剰使用でなくてなんでしょうか。--頭痛会話2016年9月10日 (土) 15:09 (UTC)[返信]
ご指摘のあった編集を致しましたÆskjaです。ご丁寧な説明をありがとうございました。記事を修正致しましたので、ご確認をお願い致します。なお脚注の設置につきましては、書籍『反ナポレオン考』を参考文献として提示なさったLibertusさんの新しいアカウントの会話ページ(利用者‐会話:Hellsehen#「ジョゼフ・フーシェ」の記事での出典明記のお願い利用者‐会話:Hellsehen#こんばんは)にてもお願いしていますが、まだ対応して戴けません。今後もページ番号を提示して戴けなければ、『反ナポレオン考』には出典となりうる情報がない、すなわち参考文献ではないものとして、要出典範囲内の文言とともに記事から除去する予定です。--Æskja会話2016年9月11日 (日) 11:57 (UTC)[返信]
先述のように、脚注の使用やページ番号の記載は必ずしなければならないものではありません。したがってページ番号がないことを理由とした記述の除去は不適切です。加筆に使われた参考文献は明記されており、誰でも検証できるようになっています。検証の上で該当する記述が見つからない、あるいは不正確な記述であったと判明すればそのときは除去するなり、修正するなりすればよいと思います。朝日選書など誰でも入手できる書籍ですし、目次を見る限りフーシェに関する記述は一章に固まっているようです[1]。Æskjaさんくらいの人ならやろうと思えば検証はたやすいと思いますが。--頭痛会話2016年9月11日 (日) 13:12 (UTC)[返信]
『反ナポレオン考』は借り出せない図書館(当方がその図書館の貸し出し対象地域の住民ではないため)にありましたので、目次を見てフーシェに関する章を中心に出典となる部分を探しましたが、閉館時間までに1箇所しか見つけられませんでした。Libertasさんに勉強不足だと笑われていますね。当方には検証ができませんでしたので、このままどなたからも出典のページが示されなければ、該当箇所は当方が除去致します(その編集が不適当としてどなたかが差し戻すことは妨げません)。出典のわかった部分だけでも提示せよ、と言われるかも知れませんが、他が分からず嘲笑されてまでは対応しかねます。ご期待に添えられず申し訳ございませんでした。--Æskja会話2016年9月11日 (日) 13:34 (UTC)[返信]
別にÆskjaさんに検証の責任があるわけではありませんので、謝罪する必要などないと思います。しかし一箇所みつかったのであれば、少なくともその箇所は除去すべきではないでしょう。
一度{{要出典範囲}}を除去したLibertasさんも、別に虚偽の情報を書き散らす利用者などではなさそうに見えます。脚注が付いていなくても記述内容が妥当だと判断した人がいたということですから、誰か出典を余裕をもって調べて脚注を付けられる人が出てくるまで放っておけば良いのではないでしょうか。どうも上のコメントは「ページ数がないから除去する」ということを言い換えているだけのように見受けられます。--頭痛会話2016年9月11日 (日) 14:20 (UTC)[返信]