トダ・デ・パンプローナ

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トダ・デ・パンプローナ
Toda de Pamplona
パンプローナ王妃
在位 905年 - 925年

死去 958年10月15日
埋葬 ナバラ王国サン・ミジャン・デ・スソ修道院
配偶者 パンプローナサンチョ・ガルセス1世
子女 ウラカ
オネカ
サンチャ
ベラスキタ
オルビタ
ガルシア・サンチェス1世
家名 イニゴ家
父親 ララウン領主アスナール・サンチェス
母親 オネカ(イニガ)・フォルトゥネス
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トダ・アスナーレス・デ・パンプローナスペイン語:Toda Aznárez de Pamplona, ? - 958年10月15日)は、パンプローナサンチョ・ガルセス1世の妃。931年より息子ガルシア・サンチェス1世が幼年の間、パンプローナ王国の摂政をつとめた。トダはパンプローナの前王家であったイニゴ・アリスタ家の子孫である。

家族[編集]

トダの父ララウン領主アスナール・サンチェスはパンプローナ王ガルシア・イニゲスの男系の孫であり、一方母オネカ・フォルトゥネスはパンプローナ王フォルトゥン・ガルセスの娘であった。したがって、トダは前王家のイニゴ・アリスタ家の子孫であった。また、トダはカリフのアブド・アッラフマーン3世の叔母か又従姉妹であった[注釈 1]。トダはパンプローナサンチョ・ガルセス1世と結婚し、2人の間には以下の子女が生まれた。

トダの夫サンチョ・ガルセス1世は、息子がまだ未成年の間に死去したため、トダの妹サンチャと結婚した夫の弟ヒメノ・ガルセスが跡を継いだ。

摂政[編集]

931年に義弟ヒメノ・ガルセスが死去し、トダは幼年の息子ガルシア・サンチェス1世の摂政および後見人をつとめた。934年、トダは甥のアブド・アッラフマーン3世に忠誠を誓う条約に署名し、バヌ・ディルヌン家の人質を解放し、カリフは息子ガルシア・サンチェス1世の支配を認めた(これは、ガルシア・サンチェス1世を母親の直接の支配から解放するためのカリフの行いと解釈されることがある)。これは、「イスラム教徒を嫌う短気な男」であるフォルトゥン・ガルセス伯によるファルセスでの反乱につながったが、この反乱はコルドバ軍により鎮圧された。トダは937年に条約に違反し、過酷な遠征を余儀なくされた。947年から955年までの間、トダは義理の娘である王妃を排除するための王国の特許状を発行し、959年にも再び発行した。958年に、トダはデジオ、リサラやその他の特定されていない町の周辺にあった自身の従属王国を支配していた[2]

同年、トダは孫であるレオン王サンチョ1世の健康状態に関心を持った。サンチョ1世は主に肥満により退位させられていた[3][4]。トダは、良い医師がいることで有名なコルドバのカリフ、アブド・アッラフマーン3世の支援を求めた。カリフは自身のユダヤ人医師ハスダイ・イブン・シャプルトをトダのもとに送り、トダがコルドバの町を訪れることを条件にサンチョ1世を治すことを約束した[5]。こうして、トダ、息子ナバラ王ガルシア・サンチェス1世、孫のレオン王サンチョ1世、および貴族や聖職者がコルドバに到着し、そこで彼らは十分な栄誉と豪華なもてなしを受けた[3][6][7]。このキリスト教徒の王妃がイスラム教のカリフ国の首都に到着したことで、アブド・アッラフマーン3世は臣民の間で名声が高まり[8]、このトダらの訪問は中世の外交の歴史において画期的な出来事であったと考えられている[9]。サンチョ1世の治療は成功し、「過度の肥満から解放された」[10][11]

トダは精力的に外交を行い、イベリアのキリスト教徒の王族や貴族と競い合って娘たちの政略結婚を取り決めた。トダは958年に死去した。

注釈[編集]

  1. ^ トダおよびそのきょうだいとアブド・アッラフマーン3世との関係は 『ロダ写本』の中のパンプローナ王の系図に基づいており、それによるとサンチョ、トダおよびサンチャはオネカとアスナール・サンチェスとの最初の結婚で生まれ、アブド・アッラフマーン3世はオネカと後ウマイヤ朝のエミール、アブド・アッラーフとの2度目の結婚で生まれたムハンマドの息子であるという。しかし、結果として得られた時系列は、息子のガルシアの誕生時にトダが信じられないほど年をとっている必要があるため、否定された。ほとんどの歴史家は、『ロダ写本』がオンカの結婚の順序を逆転させたと結論付けているが、この別の時系列にはそれ自体に問題がないわけではない。Arturo Cañada Justeは最近、別の間違いが問題の根底にあることを提案した。『ロダ写本』は、アスナール・サンチェスの妻であるオネカ・フォルトゥネスとアラゴン伯アスナール・ガリンデス2世の妻である叔母のオネカ・ガルセスを部分的に混同していた、ということである。オネカ・ガルセスがアブド・アッラーフの妻でもあった場合、時系列の問題は解決し、アブド・アッラフマーン3世はトダとそのきょうだいの甥ではなく又従兄弟となる[1]

脚注[編集]

  1. ^ Cañada Juste 2013.
  2. ^ Collins 1998, pp. 79–92.
  3. ^ a b Cantera Burgos 1966, p. 363.
  4. ^ Hajji 1970, p. 74.
  5. ^ Nykl 1974, pp. 6–7.
  6. ^ Vallvé Bermejo 1992, p. 177.
  7. ^ Hajji 1970, p. 75.
  8. ^ Guichard 2008, p. 101.
  9. ^ Azizur Rahman 2001, p. 147.
  10. ^ Hajji 1970, p. 76.
  11. ^ Jayyusi 1992, p. 37.

参考文献[編集]

  • Azizur Rahman, Syed (2001). The Story of Islamic Spain. New Delhi: Goodword Books. ISBN 978-81-87570-57-8 
  • Cañada Juste, Arturo (2013). “Doña Onneca, una princesa vascona en la corte de los emires cordobeses” (Spanish). Príncipe de Viana 74 (258): 481–502. ISSN 0032-8472. https://dialnet.unirioja.es/servlet/articulo?codigo=4542037. 
  • Cantera Burgos, Francisco (1966). “Christian Spain”. In Roth, Cecil. The World History of the Jewish People. 2nd series: Medieval Period. 2, The Dark Ages: Jews in Christian Europe, 711–1096. Tel Aviv: Massadah Publishing. pp. 357–381. OCLC 230268286 
  • Collins, Roger (1998). “Queens-Dowager and Queens-Regnant in Tenth-Century León and Navarre”. In John Carmi Parsons. Medieval Queenship. pp. 79–92 
  • Guichard, Pierre (2008). “El apogeo del Islam andalusí (siglo X – inicios del siglo XIII)” (Spanish). Las Españas medievales. Biblioteca de Bolsillo, v. 133. Barcelona: Editorial Critica. pp. 85–127. ISBN 978-84-7423-812-9 
  • Hajji, Abd al-Rahman Ali (1970). Andalusian Diplomatic Relations with Western Europe during the Umayyad Period (A.H. 138–366 / A.D. 755–976): An Historical Survey (1st ed.). Beirut: Dar al-Irshad. OCLC 3242315 
  • Jayyusi, Salma Khadra, ed (1992). The Legacy of Muslim Spain. Handbuch der Orientalistik. Part 1, Volume 12. Leiden: E.J. Brill. ISBN 978-90-04-09599-1 
  • Nykl, Alois Richard (1974). Hispano-Arabic Poetry and Its Relations with the Old Provençal Troubadours. Geneva: Slatkine. OCLC 461778757 
  • Vallvé Bermejo, Joaquín (1992) (Spanish). El Califato de Córdoba. Colecciones MAPFRE 1492, v. 6. Madrid: Editorial MAPFRE. ISBN 978-84-7100-406-2