チェット・ニコルズ・シニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
チェット・ニコルズ・シニア(チェスター・レイモンド・ニコルズ・シニア)
Chester Raymond Nichols Sr.
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ロードアイランド州ウーンソケット[1]
生年月日 (1897-07-03) 1897年7月3日[1]
没年月日 (1982-07-11) 1982年7月11日(85歳没)[1]
身長
体重

5' 11" =約180.3

[1] cm
160 lb =約72.6

[1] kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
初出場 1926年7月30日[1]
最終出場 1932年5月29日[2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

チェット・ニコルズ・シニア英語: Chet Nichols Sr.)として知られるチェスター・レイモンド・ニコルズ・シニア(英語: Chester Raymond Nichols Sr.1897年7月3日 - 1982年7月11日[1])は、アメリカ合衆国プロ野球選手メジャーリーグベースボールの3球団で投手としてプレーした[1]。子に1951年のナショナルリーグ最優秀防御率投手であるチェット・ニコルズ・ジュニアがいる[3]

1926年、ニューヘイブン・プロフズ英語版よりメジャーリーグに昇格[4]。この年はピッツバーグ・パイレーツで僅か3試合の出場に留まり、勝敗はなかったものの初安打を記録している[2]。翌年は8試合に登板し3敗、ルール5ドラフトニューヨーク・ジャイアンツへ移籍した[2]

1928年は3試合、1929年は通年マイナーリーグと結果を残せず、再びルール5ドラフトの対象となりフィラデルフィア・フィリーズへ移籍した[4][2]

1930年には16試合に登板し初勝利を挙げ、代走としても11試合に出場し、2得点を挙げた[5][2]。その後は結果を残せず、1932年が出場最終年となった[4][2]

記録[編集]

6年間で1勝8敗、防御率7.19の成績を残した[2]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h Chet Nichols #18”. メジャーリーグベースボール. 2020年9月3日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j Chet Nichols”. Baseball Reference. Sports Reference. 2020年9月3日閲覧。
  3. ^ Chet Nichols #31”. メジャーリーグベースボール. 2020年9月3日閲覧。
  4. ^ a b c Chet Nichols”. Baseball Reference. Sports Reference. 2020年9月3日閲覧。
  5. ^ 1930 Batting Game Log”. Baseball Reference. Sports Reference. 2020年9月3日閲覧。