センテニアル・オリンピック公園爆破事件
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日付 | 1996年7月27日 |
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時刻 | 1:20 am |
場所 | アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ |
座標 | 北緯33度45分38秒 西経84度23分33秒 / 北緯33.76065度 西経84.392583度座標: 北緯33度45分38秒 西経84度23分33秒 / 北緯33.76065度 西経84.392583度 |
種別 | 即席爆発装置 |
動機 | 極右思想 |
標的 | センテニアル・オリンピック公園 |
死者 | 2 (1直接死、1間接死) |
負傷者 | 111 |
センテニアル・オリンピック公園爆破事件とは1996年7月27日、夏期オリンピック開催中に アメリカ合衆国ジョージア州アトランタにあるセンテニアル・オリンピック公園で同国民を狙いパイプ爆弾を用いたテロ事件である。爆風により1人が死亡、111人が負傷し、さらに1人が心臓発作で死亡した。この爆弾はエリック・ルドルフが 「グローバル社会主義」や「妊娠中絶権」に反対する目的で仕掛けたものである[1][2]。警備員のリチャード・ジュエルが起爆前に爆弾を発見しジョージア州捜査局に通報、他の警備員とともに観客を公園外に避難させた。
事件後、ジュエルは連邦捜査局に容疑者と疑われるようになり、報道機関は彼が無罪であるにもかかわらずあたかも犯人かのように報道した。 ジュエルは事件に関与していないとFBIによって宣言されるのは1996年10月だった。1997年と1998年に計3回もの爆破事件があった後、ルドルフが一連の容疑者としてFBIの名に上がった。ルドルフは2003年に逮捕され、2005年に罪を認め、仮釈放の無い終身刑となった。
脚注[編集]
- ^ Gross, Doug (2005年4月14日). “Eric Rudolph Lays Out the Arguments that Fueled His Two-Year Bomb Attacks”. San Diego Union-Tribune. Associated Press. オリジナルの2018年9月2日時点におけるアーカイブ。 2019年3月27日閲覧。
- ^ “Full Text of Eric Rudolph's Confession”. NPR (National Public Radio). (2005年4月14日) 2013年12月6日閲覧。