スペイン領西アフリカ

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スペイン領西アフリカ
الافريقية الغربية الاسبانية (アラビア語)
África Occidental Española (スペイン語)
イフニ
スペイン保護領モロッコ
スペイン領サハラ
1946年 - 1958年 イフニ
モロッコ
スペイン領サハラ
スペイン領西アフリカの国旗
国旗
国歌: Marcha Real(スペイン語)
国王行進曲
スペイン領西アフリカの位置
スペイン支配下におかれたアフリカの地域(1912年)
これらのうちのいくつかが後にスペイン領西アフリカとなった。
公用語 スペイン語
アラビア語
宗教 カトリック
イスラム教
首都 ダフラ
総督
1946年 - 1949年 ホセ・ベルメホ・ロペス英語版
1958年 - 1958年ホセ・エクトル・バスケス
変遷
設立 1946年7月20日
解体1958年1月10日
通貨ペセタ
現在モロッコの旗 モロッコ
西サハラの旗 西サハラ

スペイン領西アフリカ(スペインりょうにしアフリカ、スペイン語: África Occidental EspañolaAOE)は、アフリカ北西部の大西洋岸にあったスペインの植民地群である。1946年にスペイン保護領モロッコの南部地域、イフニ植民地スペイン領サハラを一つの行政単位に統合して形成された。1957年から58年のイフニ戦争の後、スペインは保護領の南部をモロッコに割譲し、1958年にイフニとサハラに別々の県を作った[1][2]

1946年7月20日の勅令により、スペイン領西アフリカが成立した。新総督はイフニに拠点をおいた。彼はモロッコの高等弁務官の委任受けた充て職として、保護領の南部に位置し、沿岸の他のスペイン領と同じ方針でその統治を円滑にするためであった。1947年7月12日、イフニとサハラは別の存在として引き上げられたが、依然としてイフニ総督の権限下にあった。1958年1月10日と14日、サハラとイフニは完全に独立したスペインの正規の県へ昇格した[3][4]

総督[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Shannon E. Fleming, "Decolonization and the Spanish Army, 1940–76", in Wayne H. Bowen and José E. Alvarez, eds., A Military History of Modern Spain: From the Napoleonic Era to the International War on Terror (Praeger Security, 2007), p. 129.
  2. ^ Susan Martin-Márquez, Disorientations: Spanish Colonialism in Africa and the Performance of Identity (Yale University Press, 2008), p. 378.
  3. ^ Robert Rézette, The Western Sahara and the Frontiers of Morocco (Nouvelles Éditions Latines, 1975), p. 101.
  4. ^ José Luis Villanova, "La organización política del territorio de Ifni duranta la dominación colonial española (1934–1969)", Anales: Revista de Estudios Ibéricos e Iberoamericanos 3 (2007): 49–82, esp. 62–72.

参考文献[編集]