ジョヴァンニ・バルシア

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ジョヴァンニ・バルシア
Giovanni Barcia
カトリックルングロ教区司教
教会 カトリック教会
司教区 ルングロ教区
着座 1902年6月24日
離任 1912年
前任 モイーズ・アンベルボヤン
聖職
司教叙階 1902年6月24日
個人情報
出生 1829年????
パラッツォ・アドリアーノ
死去 1912年
国籍 アルブレシュ人
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ジョヴァンニ・バルシア(Giovanni Barcia、1829年 - 1912年)は、イタロ=アルバニアン・カトリック教会英語版司教 [1]

人物[編集]

南イタリアパラッツォ・アドリアーノで生まれる。1902年4月24日在イタリアアルバニア人によって創設された東イタリア=アルバニアカトリック教会シチリア司教に当時の教皇であったレオ13世により、任命された [2]

同年6月24日にバルシアはヴィンチェンツォ・ヴァンヌテッリ枢機卿によって、共同奉献者であるジュスティーノ・アダミ大司教と、アンティオキ・アウレディスロー・ミハルザレスキーのラテン総主教によって奉献される[3]

レオ13世は彼にクロエの名誉ある見方を与え、東イタリア=アルバニアカトリック教会を10年間率いた。バルシアはナポリに住み、カラブリアサン・アドリアーノ大学学長でもあった。バルシアは、カラブリア地震の影響を受けた人々を救済するためのイタリア聖職者委員会の委員長でもあった。

脚注[編集]

  1. ^ Bishop Giovanni Barcia [Catholic-Hierarchy]”. www.catholic-hierarchy.org. 2020年12月1日閲覧。
  2. ^ Bishops who are not Ordinaries: BAR… – BD…”. www.gcatholic.org. 2020年12月1日閲覧。
  3. ^ Bishop Giovanni Barcia [Catholic-Hierarchy]”. www.catholic-hierarchy.org. 2020年12月1日閲覧。