ジョン・ホバート (第2代バッキンガムシャー伯爵)

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第2代バッキンガムシャー伯爵

第2代バッキンガムシャー伯爵ジョン・ホバート(John Hobart, 2nd Earl of Buckinghamshire1723年 - 1793年)は、イングランド貴族政治家

初代バッキンガムシャー伯爵ジョン・ホバート (John Hobart, 1st Earl of Buckinghamshire) の最初の結婚による息子であり、ウェストミンスター・スクールを経て、ケンブリッジ大学クライスツ・カレッジに学んだ[1]1747年から1756年までノリッチ選挙区 (Norwich) から庶民院議員に送られていた。1747年には、セント・アイヴス選挙区 (St Ives) からも同時に選出されていたが、議会ではノリッチ選出として議席を占めた。1756年には王室会計監査官 (Comptroller of the Household) に任命され、1756年から1767年には侍従 (Lord of the Bedchamber) を務めた。この間、1762年から1765年にはロシア帝国在ロシアイギリス大使 (Ambassadors of the United Kingdom to Russia) として送られ、次いで1776年から1780年までは、準男爵サーリチャード・ヘロン (Sir Richard Heron, 1st Baronet) がアイルランド担当大臣 (Chief Secretary for Ireland) だった時期にアイルランド総督となった。総督在任中は、自由貿易や、ローマ・カトリック教徒やその他の非国教徒への抑圧軽減を、不承不承認めた。

ジョン・ホバートは、ウィリアム・ジェームズ・コノリー (William James Conolly) の娘キャロライン (Caroline) と結婚したが、成人に達した男子の後継者は残さず、爵位は異母弟が継承した。娘のハリエット (Harriet) は、ロージアン侯爵 (Marquess of Lothian) 夫人となり、第7代ロージアン侯爵ジョン・カーの母となった。

出典・脚注[編集]

参考文献[編集]

  • Concise Dictionary of National Biography
議会
先代:
Thomas Vere
Horatio Walpole
庶民院議員(ノリッチ選挙区
1747年 - 1756年
次代:
Harbord Harbord
公職
先代:
Earl of Hillsborough
王室会計監査官
1756年
次代:
Lord Edgcumbe
先代:
Earl Harcourt
アイルランド総督 (ロード・レフテナント)
1776年 - 1780年
次代:
第5代カーライル伯爵
宮廷職
先代:
新設
侍従 (ロード・オブ・ザ・ベッドチェンバー)
1760年 - 1767年
次代:
The Duke of Roxburghe
外交職
先代:
Robert Murray Keith
在ロシアイギリス大使
1762年 - 1764年
次代:
マカートニー侯爵
グレートブリテンの爵位
先代:
John Hobart
バッキンガムシャー伯爵
1756年 - 1793年
次代:
George Hobart