アーマッド・ジャマル

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1994年
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2007年

アーマッド・ジャマル(Ahmad Jamal 1930年7月2日-)は、アメリカのジャズ・ピアニスト、作曲家、そして教育者。

本名はフリッツ·ラッセル·ジョーンズ(Fritz Russell Jones)。

アメリカの音楽評論家スタンリー·クラウチによると、「1945年以降のジャズの発展における重要性ではチャーリー·パーカーに次ぐ」。

5つの年代(1960年代~2000年代)にわたり、ジャズで最も成功した小グループのリーダーの一人であった。[1][2]

生い立ち[編集]

ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれ。ピッツバーグ出身であることは彼のアイデンティティの重要な部分であり、2001年に「ピッツバーグは僕にとってすべてだった。今もそうだ」と話している[3]

叔父のローレンスがピアノを弾きながら「真似できるかな?」というと、ジャマルは3歳でピアノを始めた[4]

7歳の時にメアリー・カードウェル・ドーソンのもとで正式なピアノの練習を始めた。

ジャズのアーティスト(アール·ハインズ、ビリー・ストレイホーン、メアリールーウィリアムスとエロール・ガーナー)に影響された。

ピアニストであるジェイムズ·ミラーに師事し、14歳の時にプロとしてピアノを弾き始めた。[5]

この時点で「次代の大物」と呼んだのはアート・テイタム[6]

ニューヨーク・タイムズ紙の批評家が彼の練習の習慣について尋ねたところ、ジャマルは、「練習はしていたよ。ドアを開けながら。誰かが僕を見つけることを願ってね。僕は一日12時間練習するようなタイプでは決してなかった。僕はいつも音楽について考えるんだ」と言った。[7]

経歴[編集]

ピッツバーグのジョージ·ウェスティングハウス高等学校を1948年に卒業後、ジョージ・ハドソン・オーケストラとツアーに出かける。[8]

フォー・ストリングスというツアー・グループにも参加したが、ヴァイオリニストのジョー·ケネディ·ジュニアが去るとバンドはすぐに解散した。

1950年にシカ​​ゴに引っ越し、合法的にアーマド・ジャマルに名前を変えた。

サックスのフォン·フリーマンやクロード・マクリンなどのバンドに出入りし、「パーム・タバーン」でソロ演奏もした。アイク・デイというドラマーとデュオの時もあった。[9]

1951年にOkehで初録音。他のメンバーはギタリスト・レイ·クロフォードと、ベーシスト・エディカルフーン(1950年から1952年)、リチャード·デイヴィス(1953年から1954年)、イスラエル·クロスビー(1954)だった。

シカゴのブルーノートと長期契約していたが、ニューヨークでの演奏を見たジョン・ハモンドが彼らをOkehレコード(コロムビア傘下)と契約させた。[8]

その後パロット(1953年から1955年)、エピック(1955)などにピアノ·ギター·ベースで録音。

ギターのクロフォードがドラマー・ヴァーネル・フルニエに替わるとトリオのサウンドがガラッと変わった。

1957年に、グループは「ハウス·トリオ」としてシカゴのパーシング・ホテルで演奏した。

トリオはライブアルバムをリリースし、『バット·ノット·フォー·ミー』は108週間(二年間)ベストセラーのチャート10位以内にとどまった。

ジャマルのよく知られた演奏「ポインシアナ」はこのアルバムに搭載されていた。


北アフリカのツアーを終え、米国に戻り、Live at the Pershing: But Not For Meでガッポリ稼いで、シカゴに「アルハンブラ」と呼ばれるレストランとクラブを開いた[10]

クラブは1959年から1961年まで続いた。

1962年にトリオは解散。

ジャマルは、32歳の時、ニューヨークに引っ越し、音楽から3年間はなれた。


1964年に、ジャマールは、ツアーや録音を再開した。

ベーシストはジャミル・ナセルだった。新しいアルバム『エクステンションズ』を録音。

ジャマルとナセルは1964年から1972年に一緒にプレーして録音を続けて1965年にフルニエとドラマー・フランク·ガント(1966~1976)ともやった。

主に、ピアノ、ベース、ドラムのトリオで、1970年代と1980年代を通じて演奏し続けたが、時々ギターを含めるようにした。

彼の恒例のギグの一つは、大晦日のブルース·アレー(ワシントンD.C.)でのお祭り騒ぎで、1979年から1990年代まで続いた。[8]


1985年にはインタビューやレコーディングセッションを行うことに合意した。仲間のジャズ・ピアニスト・マリアン·マクパートランドと。NPRのショー「ピアノジャズ」で。ふだんは弾かない「バット・ノット・フォー・ミー」も演奏した[11]


現在、数多くのツアーやレコーディングを続けている。彼の最も最近リリースされたアルバムは、『土曜日の朝』(2013)。[12]


イスラムへ改宗[編集]

ピッツバーグのバプテストの両親の元に生まれたジャマルは、20代前半まで、イスラムの宗教を知らなかった。

ツアーのさなか、1940年代1950年代にかなりのイスラム教徒のコミュニティがあったデトロイトで、ジャマルはイスラム教の宗教とイスラム文化に興味を持つようになった。

彼はイスラム教に改宗し、1950年に名前をアーマド·ジャマルに変更した。[13]

最も売れたアルバムのレコーディング『バット·ノット·フォー·ミー』の後、ジャマルの音楽は、1950年代を通じて人気が成長した。

イスラム教の信仰の影響を強く受けており、祖先の故郷についての好奇心を持っていた。また、宗教が、人種問題に関する悩みを消してくれたとも述べている。

音楽[編集]

ジャマルの音楽は、マイルス・デイビスに影響をあたえた。

デイビスは、ジャマルのリズム感と彼の「間(スペース)のコンセプト、タッチの軽さ、控えめな表現···」に感銘を受けたと自伝に書いた。

自伝によれば、デイビスにジャマルの音楽を「あんた、気に入るわよ!」とすすめたのはデイビスの姉であり、影響はデイビスの1957年アルバム『ミュージングス・オブ・マイルス』(マイルスの瞑想)からあらわれる。

ジャマルとデイビスは、1950年代に友達になった。デイビスは1991年に亡くなるまで、「アーマッド·ブルース」「新ルンバ」などをジャマルのバージョンでプレイし、仲間のミュージシャンとしてジャマルをサポートし続けた。

ジャマルは、自分自身の仕事の話をするとき、「バラードを演奏するのがが好き。演奏するのは難しい。適切にやるには本当に何年もかかる」と言う。

盤歴[編集]

  • 1955:アフマドジャマルプレイズ(オウム) -「新しいジャズの室内楽」(アルゴ)として再発
  • 1955:アフマドジャマル·トリオ(エピック)
  • 1956:カウント·エム88(アルコ)
  • 1958:パーシング:バット·ノット·フォー·ミー(アルゴ)
  • 1958:アフマドジャマル·トリオボリュームIV(アルゴ)
  • 1958:アフマドジャマルのポートフォリオ(アルゴ)
  • 1959:アフマドジャマルのピアノシーン(エピック)
  • 1959:ペントハウスでジャマル(アルゴ)
  • 1960:ハッピームード(アルゴ)
  • 1960:アフマドジャマル3重奏曲を聴く(アルゴ)
  • 1961:あなたのすべて(アルゴ)
  • 1961:アフマドジャマルのアルハンブラ(アルゴ)
  • 1962:ブラックホークのアフマド·ジャマル(アルゴ)
  • 1962:Macanudo(アルゴ)
  • 1963:ポインシアナ(アルゴ)
  • 1964:ネイキッド·シティのテーマ(アルゴ)
  • 1965:グリースペイントの咆哮(アルゴ)
  • 1965:拡張機能(アルゴ)
  • 1966:ラプソディ(カデット)
  • 1966:熱波(カデット)
  • 1967:クライ·ヤング(カデット)
  • 1968:明るい青と美しい色(カデット)
  • 1968:穏やか(ABC)
  • 1968:アフマドジャマル:ポインシアナ再訪(Impulse!)
  • 1970:覚醒(Impulse!)
  • 1971:Freeflight(Impulse!)
  • 1972:Outertimeinnerspace(Impulse!)
  • 1973:アフマドジャマル'73(20世紀)
  • 1974:Jamalca(20世紀)
  • 1974:ジャマル・プレイズ・ジャマル(20世紀)
  • 1975:遺伝ウォーク(20世紀)
  • 1976:夢からステッピンアウト(20世紀)
  • 1976:オイル・ハリーのでのライヴ録音(触媒)
  • 1978:ワン(20世紀)
  • 1979:間隔(20世紀)
  • 1980:ババさんのライブ(デジタルマスター)
  • 1980:夜の歌(モータウン)
  • 1981:コンサート・アフマドジャマル·ゲイリー·バートン
  • 1982:さよならミスター·エヴァンス(Shubra)
  • 1985:デジタルワークス(大西洋)
  • 1985:モントリオール·ジャズ·フェスティバル1985でのライブ(大西洋)
  • 1986:ロシター·ロード(大西洋)
  • 1987:クリスタル(大西洋)
  • 1989:ピッツバーグ(大西洋)
  • 1992:パリ、1992年のライブ(Birdology)
  • 1993:シカゴ再訪(テラーク)
  • 1994:私はデューク,ホーギー,ストレイホーンを覚えています(テラーク)
  • 1994:Assaiカルテットとアーマド·ジャマル(ロッシュ)
  • 1994:ホームでのアフマド·ジャマル(ロッシュ)
  • 1995:エッセンス第一部(Birdology)
  • 1995:ビッグバード:エッセンスパート2(Birdology)
  • 1996:アフマドジャマルパリ(Birdology)
  • 1997:ネイチャー:エッセンス第三部(Birdology)
  • 2000:ピクチャーパーフェクト
  • 2001:アフマド·ジャマル オリンピア
  • 2003:運動量を求めて
  • 2005:ファジル
  • 2008:それは魔法のようだ
  • 2008:ポインシアナ-一晩だけ
  • 2009:静かな時間
  • 2012:ブルームーン(Jazzbookレコード)
  • 2013:土曜日の朝(Jazzbookレコード)

参照[編集]

  1. ^ Crouch, Stanley (2007). Considering Genius: Writings on Jazz. Basic Books. p. 95. ISBN 978-0-465-01512-2. http://books.google.com/books?id=H2Q2ESacLXQC&pg=PA95. 
  2. ^ Early, Gerald Lyn (2001). Miles Davis and American culture. Missouri History Museum. p. 79. ISBN 978-1-883982-38-6. http://books.google.com/books?id=rlK4Rre5FekC&pg=PA79. 
  3. ^ Early, Gerald, ed. Miles Davis and American Culture. St. Louis: Missouri Historical Society Press, 2001: 79–85. Print.
  4. ^ Ahmad Jamal
  5. ^ Wang, Richard and Barry Kernfeld. “Jamal, Ahmad.” The New Grove Dictionary of Jazz, 2nd ed. Ed. Barry Kernfeld. Grove Music Online. Oxford Music Online. Web. April 17, 2012.
  6. ^ Waltzer, Ben. “Always Making Jazz Seem New: The Pianist Ahmad Jamal is an Innovator Who Finds Originality by Taking a Long at the Tradition of Small-Group Jazz.” New York Times, November 11, 2001: A27. Print.
  7. ^ Waltzer, p. A27.
  8. ^ a b c Wang and Kernfeld, p. 1.
  9. ^ Panken, Ted "It’s Ahmad Jamal’s 81st Birthday". Retrieved 3 July 2013.
  10. ^ Ahmad Jamal at All About Jazz
  11. ^ “Ahmad Jamal On Piano Jazz 1985.” Piano Jazz. NPR. August 29, 2008. Radio.
  12. ^ Ahmad Jamal Official Website
  13. ^ "Pittsburgh Jazz Festival Swings into Town" (September 6, 1986), Pittsburgh Courier, p. 5.

参考文献[編集]

  • “Ahmad Jamal: ‘Ahmad Jamal at the Pershing: But Not For Me.’” Basic Jazz Record Library. NPR. August 1, 2001. Radio.
  • “Ahmad Jamal On Piano Jazz 1985.” Piano Jazz. NPR. August 29, 2008. Radio.
  • Crouch, Stanley. Considering Genius: Writings on Jazz. Cambridge: Basic Civitas Books, 2006. Print.
  • Early, Gerald (ed.). Miles Davis and American Culture. St. Louis: Missouri Historical Society Press, 2001. Print.
  • Holsey, Steve. “Sepia On The Record.” Sepia (Fort Worth, TX), April 1, 1980: 14. Print.
  • “Jamal, Ahmad – Ahmad’s Blues.” Colin Larkin (ed.), Encyclopedia of Music, 4th edition. Oxford Music Online. Web. April 17, 2012.
  • “Jamal, Ahmad.” Colin Larkin (ed.), Encyclopedia of Popular Music, 4th edition. Oxford Music Online. Web. April 17, 2012.
  • Macnie, Jim. “Intricacy & Groove: At Home with Ahmad Jamal.” Downbeat, March 2010, Vol. 77, Issue 3: 26–31. Microfilm.
  • Norris, Michele. “1,000 Essential Recordings You Must Hear.” All Things Considered. By Tom Moon. August 22, 2008. Radio.
  • Walz, Jay. “Pianist-Investor Is A Hit In Cairo: Jazz Musician Ahmad Jamal Finds Moslem Faith Aids Him on African Visit.” New York Times, November 20, 1959: 14. Print.
  • Waltzer, Ben. “Always Making Jazz Seem New: The Pianist Ahmad Jamal is an Innovator Who Finds Originality by Taking a Long at the Tradition of Small-Group Jazz.” New York Times, November 11, 2001: A27. Print.
  • Wang, Richard and Barry Kernfeld. “Jamal, Ahmad.” Barry Kernfeld (ed.), The New Grove Dictionary of Jazz, 2nd edition. Grove Music Online. Oxford Music Online. Web. April 17, 2012.
  • Wright, Todd and John Higby. “Appalachian Jazz: Some Preliminary Notes.” Black Music Research Journal 23, 1/2 (2003): 58, 59. Print.

外部リンク[編集]