アンソニー・マコーリフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
アンソニー・マコーリフ
Anthony Clement McAuliffe
BG Anthony McAuliffe.jpg
アンソニー・マコーリフ准将
生誕 1898年7月2日
ワシントンD.C.
死没 1975年8月11日(満77歳没)
メリーランド州チェビー・チェイス
所属組織 Seal of the US Department of the Army.svgアメリカ陸軍
軍歴 1918 - 1956
最終階級 陸軍大将
テンプレートを表示

アンソニー・クレメント・マコーリフAnthony Clement McAuliffe1898年7月2日 - 1975年8月11日)は、アメリカ合衆国の軍人。第二次世界大戦バルジの戦い第101空挺師団長代理として師団を指揮し、ドイツ軍の降伏勧告に対して「Nuts!(バカめ!)」の一言をもって回答したことで有名である。[1]

経歴[編集]

1898年7月2日にワシントンD.C.で生まれる。ウェスト・バージニア大学に1916年から17年まで通い、その後アメリカ陸軍士官学校に入校、1918年11月に卒業する。1918年に少尉として任官し、1955年の大将まで昇進した。

1944年6月のノルマンディー上陸作戦時、第101空挺師団の野砲師団指揮官としてパラシュート降下した。12月のバルジの戦いでは師団長マクスウェル・D・テイラーが会議のため帰国し不在であったため、101空挺師団および配下の部隊の代理指揮官を務めた。12月21日に同師団が守備するバストーニュをドイツ軍は完全包囲し、彼らに対して降伏勧告を行った。マコーリフは軍使に対し「Nuts!」と答え、副官がその一言を書いた紙を公式回答として第47装甲軍団指揮官のハインリヒ・フォン・リュットヴィッツ中将に送った。第4装甲師団が救援のため到着するまで101空挺師団はドイツ軍の包囲から持ちこたえることができ、その功績から殊勲十字章を与えられた。

複数の記事によると、マコーリフは当時ドイツの軍使から降伏を勧告されたとき「Aww, nuts」と答えたという。彼が公式返答に困ると、周りの人々は最初の言葉が状況を良く要約していると言ったため、「To the German Commander, "Nuts!"」が公式回答としてハーパー大佐によってタイプされドイツ軍使に渡された。ハーパーは単語の意味をドイツ人に説明しなければならなかったという[2]。マコーリフ自身は、1954年の春に複数の空軍連絡将校達から行われたインタビューで実際に何と言ったのか尋ねられたとき「shit」と答えたと語っている。

戦後、陸軍化学部隊の指揮官など様々な役職に就任した。そして1953年に第7軍の指揮官としてヨーロッパに戻り、1955年には在欧アメリカ陸軍最高司令官に就任した。

1956年に軍を退役し、1956年から63年までサイアナミッド株式会社で働いた。さらに1960年から63年までニューヨーク州市民防衛委員会の議長を務めた。その後メリーランド州チェビー・チェイスで暮らし、1975年8月11日に死去した。アーリントン国立墓地に妻、息子および娘と共に埋葬されている。

栄典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ワーテルローの戦いでもピエール・カンブロンヌによる類似の故事がある。
  2. ^ ハーパーは"Go to hell"という意味だと説明したという。(http://www.history.army.mil/books/wwii/Bastogne/bast-14.htm を参照のこと)

外部リンク[編集]