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「紅白梅図」の版間の差分

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流れを挟んで向かいあう紅梅と白梅。金地に対して流れを銀地とし、紅白の梅を左右に配すという際立った対照による大胆な構図である。光琳の最高傑作であり、装飾性を追求した琳派様式の一到達点を示す。斬新な意匠のうちに優れた象徴性を秘めてもいよう<ref>{{Cite web|title=国指定文化財等データベース|url=https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/134|website=kunishitei.bunka.go.jp|accessdate=2021-03-03|publisher=文化庁(一部改変)}}</ref>。
流れを挟んで向かいあう紅梅と白梅。金地に対して流れを銀地とし、紅白の梅を左右に配すという際立った対照による大胆な構図である。光琳の最高傑作であり、装飾性を追求した琳派様式の一到達点を示す。斬新な意匠のうちに優れた象徴性を秘めてもいよう<ref>{{Cite web|title=国指定文化財等データベース|url=https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/134|website=kunishitei.bunka.go.jp|accessdate=2021-03-03|publisher=文化庁(一部改変)}}</ref>。


紅白梅図屏風の性的な解釈で有名な[[小林太市郎]]は、「光琳と乾山」(『世界の人間像』第7巻、[[角川書店]])の中で、「内蔵助が光琳の愛人たることは毫もうたがう余地がない」と断定的に推測した。なお、『紅白梅図』屏風の金地(金色の背景)について、[[2003年]](平成15年)から翌年にかけての[[東京文化財研究所]]の[[蛍光X線]]による調査の結果、[[金箔]]を貼ったものではなく、金泥(金粉を[[膠]]で溶いた絵具)を使って描き、金箔の継ぎ目(箔足)をわざわざ描き出していた可能性が指摘された。一方、[[2010]](平成22年)のMOA美術館の発表によれば、X線[[回折]]法による再調査により、やはり金箔を貼ったものという調査結果が出たとしており、本屏風の制作技法については、なお議論が続いている。<ref>2010年2月15日付『読売新聞』社会面{{Full citation needed|date=2020年11月}}</ref>中央の川は[[銀]]地に金泥を塗った上に[[硫黄]]をまぶして銀を黒く変色させるという技法を使っている。また、現在は白梅と認識されている梅は本来は桃色であったが、有機[[染料]]で描いたために褪色してしまっている<ref>[[趣味どきっ!]] 2015年4月14日放送分{{出典無効|date=2020-11}}</ref>。
紅白梅図屏風の性的な解釈で有名な[[小林太市郎]]は、「光琳と乾山」(『世界の人間像』第7巻、[[角川書店]])の中で、「内蔵助が光琳の愛人たることは毫もうたがう余地がない」と断定的に推測した。なお、『紅白梅図』屏風の金地(金色の背景)について、[[2003年]](平成15年)から翌年にかけての[[東京文化財研究所]]の[[蛍光X線]]による調査の結果、[[金箔]]を貼ったものではなく、金泥(金粉を[[膠]]で溶いた絵具)を使って描き、金箔の継ぎ目(箔足)をわざわざ描き出していた可能性が指摘された<ref>{{Cite journal|和書|author=早川泰弘, 佐野千絵, 三浦定俊, 内田篤呉 |date=2005 |title=尾形光琳筆紅白梅図屏風の蛍光X線分析 |url=https://doi.org/10.18953/00003629 |journal=保存科学 |issue=44 |pages=1-16 |doi=10.18953/00003629}}</ref>。一方、2011年(平成23年)のMOA美術館の発表によれば、X線[[回折]]法による再調査により、やはり金箔を貼ったものという調査結果が出た<ref>{{Cite journal|和書|author=阿部善也, 権代紘志, 竹内翔吾, 白瀧絢子, 内田篤呉, 中井泉 |date=2011 |title=可搬型X線分析装置を用いる「国宝 紅白梅図屏風」の金地製法解明 |url=https://doi.org/10.2116/bunsekikagaku.60.477 |journal=分析化学 |volume=60 |issue=6 |pages=477-487 |doi=10.2116/bunsekikagaku.60.477}}</ref>としており、本屏風の制作技法については、なお議論が続いている。<ref>2010年2月15日付『読売新聞』社会面{{Full citation needed|date=2020年11月}}</ref>中央の川は[[銀]]地に金泥を塗った上に[[硫黄]]をまぶして銀を黒く変色させるという技法を使っている。また、現在は白梅と認識されている梅は本来は桃色であったが、有機[[染料]]で描いたために褪色してしまっている<ref>[[趣味どきっ!]] 2015年4月14日放送分{{出典無効|date=2020-11}}</ref>。


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2022年5月20日 (金) 04:53時点における版

紅白梅図屏風
光琳が描いた梅の木

紅白梅図屏風(こうはくばいずびょうぶ)は、江戸時代(18世紀)の尾形光琳による彼の晩年の一大傑作。水流と紅白のが描かれている。津軽家に伝来[1]MOA美術館収蔵。国宝に指定されている。 

概要

同じく国宝の燕子花図とともに尾形光琳の代表作の1つであり、彼が模索していた大胆なデザイン(意匠)の集大成といえ、日本美術で最も著名な作品の1つである[2]。紙本金地著色・二曲一双。大きさは156.0cm×172.2cm。

流れを挟んで向かいあう紅梅と白梅。金地に対して流れを銀地とし、紅白の梅を左右に配すという際立った対照による大胆な構図である。光琳の最高傑作であり、装飾性を追求した琳派様式の一到達点を示す。斬新な意匠のうちに優れた象徴性を秘めてもいよう[3]

紅白梅図屏風の性的な解釈で有名な小林太市郎は、「光琳と乾山」(『世界の人間像』第7巻、角川書店)の中で、「内蔵助が光琳の愛人たることは毫もうたがう余地がない」と断定的に推測した。なお、『紅白梅図』屏風の金地(金色の背景)について、2003年(平成15年)から翌年にかけての東京文化財研究所蛍光X線による調査の結果、金箔を貼ったものではなく、金泥(金粉をで溶いた絵具)を使って描き、金箔の継ぎ目(箔足)をわざわざ描き出していた可能性が指摘された[4]。一方、2011年(平成23年)のMOA美術館らの発表によれば、X線回折法による再調査により、やはり金箔を貼ったものという調査結果が出た[5]としており、本屏風の制作技法については、なお議論が続いている。[6]中央の川は地に金泥を塗った上に硫黄をまぶして銀を黒く変色させるという技法を使っている。また、現在は白梅と認識されている梅は本来は桃色であったが、有機染料で描いたために褪色してしまっている[7]

出典

  1. ^ 紅白梅図屏風 | MOA美術館 | MOA MUSEUM OF ART”. www.moaart.or.jp. 2020年11月27日閲覧。
  2. ^ 東京文化財研究所編集 中央公論美術出版 書籍「国宝紅白梅図屏風: 尾形光琳筆」ISBN : 9784805505007
  3. ^ 国指定文化財等データベース”. kunishitei.bunka.go.jp. 文化庁(一部改変). 2021年3月3日閲覧。
  4. ^ 早川泰弘, 佐野千絵, 三浦定俊, 内田篤呉「尾形光琳筆紅白梅図屏風の蛍光X線分析」『保存科学』第44号、2005年、1-16頁、doi:10.18953/00003629 
  5. ^ 阿部善也, 権代紘志, 竹内翔吾, 白瀧絢子, 内田篤呉, 中井泉「可搬型X線分析装置を用いる「国宝 紅白梅図屏風」の金地製法解明」『分析化学』第60巻第6号、2011年、477-487頁、doi:10.2116/bunsekikagaku.60.477 
  6. ^ 2010年2月15日付『読売新聞』社会面[要文献特定詳細情報]
  7. ^ 趣味どきっ! 2015年4月14日放送分[出典無効]