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米地 文夫(よねち ふみお、1934年 - )は、日本地理学者岩手県立大学名誉教授、ハーナムキヤ景観研究所所長[1]。本来の専門は地形学であり、この方面で数多くの論文、報告書を発表しているが、人文地理学にも関わる論文も多く、特に宮沢賢治作品の地理学的背景について様々な提起を行なうとともに、花巻市において、賢治作品を活かしたまちづくりの運動を展開している[1][2]

経歴

宮城県生まれ[1]

1957年東北大学理学部を卒業した[3]

山形大学東北大学で助教授を務めた後、岩手大学教授となった[1]

この間、1979年、「最上川流域の地形構造に関する研究」により、東北大学から理学博士を取得した[3][4]

岩手大学退職後、岩手県立大学総合政策学部教授となり、後に名誉教授となった[1]

研究

米地は、1888年磐梯山噴火について、1980年代を中心に新たな史料の掘り起こしなどを行ない[5]、それまでの通説とは異なり、この噴火が大規模な爆発ではなく、小規模な水蒸気爆発とそれによって引き金を引かれた多段階的な山体崩壊であったとする「多段階崩壊仮説」を提示した[6]。一連の研究成果は、2006年に『磐梯山爆発』にまとめられた。

1990年代以降、米地は、志賀重昂日本風景論』(1894年)を批判的に検討する、共著を含めた一連の論文を発表し、その政治性を検討するとともに[7]。、富士山の美についての数学的言及に剽窃が含まれていることを具体的に指摘した[8]

また、同時期からは、宮沢賢治に関する論文も継続的に発表しており、作品中の架空の事物と、現実の地理的事象との結び付きについて様々な仮説を提起している[9][10]

おもな著書

  • 磐梯山爆発、古今書院(シリーズ日本の歴史災害 第4巻)、2006年
  • 「銀河鉄道の夜」解体新書:「楽しさ」「優しさ」「明るさ」を探る、高喜書房、2013年

脚注

  1. ^ a b c d e 「賢治・星めぐりの街」案内人”. 花巻商工会議所 賢治・星めぐりの街づくり推進協議会. 2015年5月18日閲覧。
  2. ^ ハーナムキヤ景観研究所と「賢治・星めぐりの街」づくりプロジェクト”. 木村設計A・T. 2015年5月18日閲覧。
  3. ^ a b 米地文夫 最上川流域の地形構造に関する研究” (PDF). 東北大学. pp. 492-498. 2015年5月18日閲覧。
  4. ^ 最上川流域の地形構造に関する研究 米地文夫”. 国立国会図書館. 2015年5月18日閲覧。
  5. ^ 米地文夫「噴火以前の磐梯山の地形復元」『地学雑誌』第97巻第4号、1988年、317-325頁、2015年5月18日閲覧  NAID 130001001303
  6. ^ 米地文夫、大木俊夫、秋山政一「磐梯山1888年噴火開始時点をめぐる諸問題 時刻・地点・噴煙高度」『岩手大学教育学部附属教育実践研究指導センター研究紀要』第3号、1988年、157-170頁、2015年5月18日閲覧  NAID 130001074517
  7. ^ 中嶋文雄、米地文夫「『日本風景論』における朝鮮半島の景観への言及について : 教科書に志賀重昂を登場させることは適切か」『岩手大学教育学部研究年報』第71巻、1997年、31-40頁、2015年5月18日閲覧  NAID 110000538040
  8. ^ 中嶋文雄、米地文夫「志賀重昂「日本風景論」の剽窃性の数学的検証」『岩手大学教育学部研究年報』第71巻、2011年、53-55頁、2015年5月18日閲覧  NAID 40019237823
  9. ^ 米地文夫「宮沢賢治の創作地名「イーハトヴ」の由来と変化に関する地理学的考察」『岩手大学教育学部研究年報』第55巻第2号、1995年、45-64頁、2015年5月18日閲覧  NAID 110000109186
  10. ^ 米地文夫「「銀河鉄道の夜」の用語「三角標」の謎 : 宮沢賢治の地図や測量への関心をめぐって」『総合政策』第13巻第2号、岩手建立大学、2012年、103-118頁。  NAID 110009550249