雑司が谷隧道

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東側

雑司が谷隧道(ぞうしがやずいどう)は、東京都豊島区の池袋駅北端に接する歩行者専用トンネル(隧道)・鉄道橋で、愛称は「WE ROADウイ・ロード」。鉄道橋としての名称は雑司ヶ谷ガードである。

東口北側のパルコ前と北口周辺を結んでいて、開通は1925年大正14年)[1]。 古くから雑司が谷池袋板橋宿を結んでいた雑司ヶ谷道(高田道)の途中にあるために、雑司が谷隧道と命名された。

1986年昭和61年)2月に改修され、愛称も地元商店街振興組合の協力により、この時に命名された。

概要[編集]

上部の鉄道は、東武東上本線と、東日本旅客鉄道(JR東日本)の山手線埼京線湘南新宿ラインが通っている。

その下部トンネルは、長さ77メートル、幅3.6メートル、高さ2.1メートル[1]豊島区の中核である池袋は、池袋駅の東西連絡路が少ない。特に自転車利用者にとって、駅南のびっくりガードと並び、池袋駅の北口・西口と東口とを結ぶ重要な連絡通路となっている。

歩行者専用通路であるが、実際には乗用車の通行が可能な幅員とスロープを備えている。災害時等の緊急車輌通過を想定したとも見られるが、高さが2m程度しかない為、消防車は勿論、救急車も利用出来ない。

内部はタイル張りで入口上に愛称の、トンネル中程に隧道名のプレートが設置されている他、西側には壁画も描かれており、公衆便所も整備されている。東口側にはParco地階の出入り口が連絡していて、区営駐輪場が設置されている。 歩道の排水と照明は、区が管理している。

昼夜を問わず、人の往来が非常に多く、大道芸人ストリートミュージシャンの演芸も見られる等、単なる通路ではない名所となっている。

老朽化による水漏れが生じる等してイメージが良くない事もあり、1日平均の通行人数(約3万人)の内、女性は平日では23%に留まる。豊島区は約3億6000万円を投じて改修に着手。天井画や自転車からの降車を促す車止めの設置、監視カメラの増設、滑りにくい路面の採用等を進めている[1]

かつては「ションベンガード」[2][3][4]とも呼ばれていた。1985年に、改修工事が行なわれ、「ウイロード」と名付けられた[3]。2017年に、改修事業が始まり、区側から植田志保に当初、壁面の作品の製作が依頼されたが、植田は壁面に直接に描きたいと申し出て[4]、再生プロジェクト「1000万のたましいを呼び醒ます『色のすること』~ Tour of WE ROAD」が始動した。2018年3月8日に、池袋駅前仮設アトリエで天井パネル描画制作が開始され、5月31日に、天井パネル画45枚が完成し、7月からは天井、壁面への直接描画が始まっている。公開制作は、月曜日から土曜日、9時から17時頃、11月中旬頃までの予定。

特色[編集]

  • 通称のウイロードは「W(西口)E(東口)との通路」[3]「多くの人が通る、私たちの道」等、多くの意味を持っている。
  • 自転車やバイクに乗ったまま進入する者もあり、過去にテレビ放送で取り上げられていた。区では通路内に保安係要員を配置し、また、注意放送をする等している。
  • 改修前は薄暗く、ホームレスが多く屯していたという。

脚注・出典[編集]

  1. ^ a b c 「ウィロード」明るくきれいに/池袋駅の東西結ぶ地下道 改修進む産経新聞』朝刊2019年3月14日(東京面)2019年3月16日閲覧。
  2. ^ セピア色の記憶 第3回 『ビックリガード』は何がビックリ?」(PDF)『かたりべ(豊島区立郷土資料館だより)』第68号、豊島区立郷土資料館、2002年11月30日、4頁、2020年11月10日閲覧 
  3. ^ a b c 吉田之彦、渡辺晋、樋口州男、武井弘一「ウイ(WE)ロード」『東京の道事典』東京堂出版、2009年、11頁。ISBN 978-4-490-10757-9 
  4. ^ a b 中村真暁 (2019年9月20日). “暗い、汚い…池袋のガード下が生まれ変わる 美術作家が公開制作中”. 東京新聞. 2020年11月8日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]