長者森古墳
長者森古墳 | |
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墳丘・石室開口部 (右奥に旧福知山市立育英小学校校舎) | |
所在地 |
京都府福知山市夜久野町高内(小字麻畑) (旧福知山市立育英小学校跡地内) |
位置 | 北緯35度19分47.20秒 東経134度56分51.30秒 / 北緯35.3297778度 東経134.9475833度座標: 北緯35度19分47.20秒 東経134度56分51.30秒 / 北緯35.3297778度 東経134.9475833度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径24m 高さ4.7m |
埋葬施設 | 両袖式横穴式石室 |
出土品 | 耳環・鉄刀・須恵器 |
築造時期 | 6世紀後半 |
史跡 | 京都府指定史跡「長者森古墳」 |
地図 |
長者森古墳(ちょうじゃがもりこふん)は、京都府福知山市夜久野町高内にある古墳。形状は円墳。京都府指定史跡に指定されている。
概要[編集]
京都府北西の兵庫県境部、牧川が南から東へ流路を変える付近の北岸丘陵先端部に築造された古墳である。現在は旧福知山市立育英小学校校庭に所在し、かつては円墳2基で群を形成したが、他の1基(1号墳)は学校建設に伴って破壊されている(2号墳:長者森古墳)[1]。これまでに発掘調査は実施されていない。
墳形は円形で、直径24メートル・高さ4.7メートルを測る[1]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、東南東方向に開口する。石室全長12.2メートルを測る大型石室で、京都府北部では最大級の規模として注目される[1]。石室内の発掘調査は実施されていないが、表層から耳環・鉄刀類・須恵器が採集されている。
築造時期は、古墳時代後期の6世紀後半頃と推定される[1]。一帯では古墳時代前・中期の大型古墳は認められておらず、突如として長者森古墳が築造された様相を呈する[1]。当地域は円山川-市川沿い、牧川-由良川-加古川沿いに但馬・丹後・播磨・丹波を結ぶ交通上の要衝であり、一帯の古代史を考察するうえで重要視される古墳になる[1]。なお牧川対岸では、長者森古墳に続く首長墓と見られる千切塚古墳群・竹内古墳群が分布する[1]。
古墳域は2002年(平成14年)に京都府指定史跡に指定されている。
遺跡歴[編集]
埋葬施設[編集]
埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、東南東方向に開口する。石室の規模は次の通り[2][1]。
- 石室全長:12.2メートル
- 玄室:長さ5.5メートル、幅2.3メートル、高さ2.6メートル
- 羨道:長さ6.7メートル、幅1.1メートル(玄門)
石室の石材は地元の玄武岩[2]。長軸1メートル程度の大石を1段目(基底石)および6・7段目に一列に配し、他には小ぶりの石を積んでおり、4・5段目からは持ち送りが顕著である[1]。また玄門部では方柱状の石を立てて袖石とするが、天井石には達していない[1]。
石室内では、表層から耳環・鉄刀類・須恵器(坏類)が採集されている[1]。
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石室俯瞰図
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玄室(奥壁方向)
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玄室(開口部方向)
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羨道(開口部方向)
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羨道(玄室方向)
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開口部
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墳丘
文化財[編集]
京都府指定文化財[編集]
- 史跡
- 長者森古墳 - 2002年(平成14年)3月26日指定。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 史跡説明板(福知山市教育委員会、2016年設置)
- 「長者森古墳」『京都の文化財 第20集』京都府教育委員会、2003年、35-36頁 。
- 「長者森古墳」『夜久野町史 第2巻 資料編』福知山市、2006年。
外部リンク[編集]
- 長者森古墳 - 福知山市ホームページ