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野田六左衛門 (7代)

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7代 野田 六左衛門(のだ ろくざえもん、1894年明治27年)8月[1] - 1989年平成元年)8月17日[1])は、明治から昭和時代の政治家実業家貴族院多額納税者議員。前名は文二[2]

経歴

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滋賀県出身[1]。先代六左衛門の二男。1915年(大正4年)滋賀県立八幡商業学校(現・滋賀県立八幡商業高等学校)卒業、のち慶應義塾大学に進んだ[1]

1924年(大正13年)以降、野田酒造代表取締役、滋賀県地方木材社長、日野町耕地整理組合長、日野町会議員、同学務委員などを歴任した[1]

1939年(昭和14年)滋賀県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から[3]1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで務めた[1]

脚注

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参考文献

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関連項目

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