郝 孝徳(かく こうとく、生没年不詳)は、中国の隋末の民衆叛乱の指導者。平原郡の人。
大業9年(613年)、数万人を率いて隋に対する反乱軍を挙兵し、黄河以北の地域で活動した。王薄・孫宣雅(中国語版)らの挙兵した部隊と連合し、章丘を占領し、隋の将軍の張須陀に敗退すると、瓦崗軍(中国語版)に帰属し、李勣と会同して黎陽倉を占領し、平原公を自称した。
劉黒闥は、初期のころ、郝孝徳に付き従っていた[1]。