近海丸沈没事故
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近海丸沈没事故(きんかいまるちんぼつじこ)は、太平洋戦争末期の1944年12月24日に、長崎県長崎市小江町沖で起きた日本の海難事故。
長崎交通船株式会社に所属した連絡船(渡海船)「近海丸」(26トン)が沈み、273人の犠牲者を出した[1]。
概要
[編集]1944年12月24日午後1時ごろ、長崎交通船が運航していた木造旅客船・近海丸が、長崎市小江町沖で荒波を受けて遭難・ 転覆・沈没した[2]。当時近海丸は、三重から式見を経由し大波止に向かう途中であった。この海難事故により、乗客乗員338人のうち273人が犠牲となった[3]。船の定員は80人であったが、その約4倍の人数と荷物を積載していたことが、バランスを崩して転覆する引き金になったとみられている[1]。
脚注
[編集]- ^ a b “戦争末期273人犠牲 忘れられた沈没事故に祈り 淡嶋神社呼び掛け、東京からも遺族慰霊”. 長崎新聞. (2019年11月25日) 2023年1月28日閲覧。
- ^ “太平洋戦争末期の「近海丸」事故 絵巻物と朗読で伝える 長崎市立三重小の保護者ら”. 長崎新聞. (2022年11月24日) 2023年1月28日閲覧。
- ^ “「近海丸」沈没事故から76年 悲劇を後世に 淡嶋神社で犠牲者慰霊”. 長崎新聞. (2020年12月25日) 2023年1月28日閲覧。
関連書籍
[編集]- 五反田克彦 『長崎もう一つの戦災 近海丸遭難事件』長崎新聞社、2020年、ISBN 9784866500164・CRID 1130005876578574386