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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
凡例
赤星武貫
時代
南北朝時代
生誕
不明
死没
延文
4年/
正平
14年
8月6日
(
1359年
8月29日
)
別名
掃部允
[
1
]
氏族
赤星氏
父母
父:
赤星隆鑑
子
養子:
武生
(
菊池時隆
子?)
テンプレートを表示
赤星 武貫
(あかぼし たけつら)は、
南北朝時代
の
武将
。
赤星氏
第3代当主。
経歴・人物
[
編集
]
菊池武光
に従い
懐良親王
を奉じて
延文
4年/
正平
14年(
1359年
)
8月6日
、
少弐頼尚
勢と
筑後川の戦い
にて戦い戦死した
[
1
]
。
脚注
[
編集
]
[
脚注の使い方
]
^
a
b
デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『
赤星武貫
』 -
コトバンク
カテゴリ
:
赤星氏
南北朝時代の武将
南北朝時代に戦死した人物
生年不明
1359年没