コンテンツにスキップ

赤星氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
赤星氏
家紋
並び鷹の羽ならびたかのは
本姓 菊池氏[1][注釈 1]
家祖 菊池有隆[1]
菊池武豊赤星武生
種別 武家
出身地 肥後国菊池郡赤星郷
主な根拠地 肥後国
著名な人物 赤星武貫
赤星道雲
赤星親隆
赤星統家
凡例 / Category:日本の氏族

赤星氏(あかほしし)は、日本の氏族のひとつ。

肥後国菊池郡赤星郷[注釈 2]を本拠とした菊池氏の庶流の一族である。

菊池隆泰の四男で、菊池武房の四弟の菊池有隆を祖としている[1]

延文4年(正平14年・1359年)8月6日に、筑後川の戦いで、第3代当主の赤星武貫が討死した事に由り、赤星有隆の血筋が断絶している[2]

家祖・菊池武豊

[編集]

菊池有隆の系統の赤星氏が断絶した事に由り、菊池武時の八男で、菊池武重の八弟で、菊池武敏菊池武光菊池武士の八兄の菊池武豊が、赤星氏の当主に成って赤星武生と名乗っている[3]

菊池武豊の血筋の赤星氏に付いては、同族城氏や、重臣隈部氏と共に菊池氏の三家老家の一つ。家紋は菊池氏と同じく並び鷹羽。

主家の菊池氏の滅亡後

[編集]

主家の菊池氏が滅亡した後で、庶流の赤星道雲は、同族の木野親政や、重臣の隈部親永と共に勢力を伸ばして、菊池義武が甥の大友宗麟と争った際には、大友氏の傘下に入って活躍した。

その報償として菊池氏の本拠であった菊池郡隈府城を与えられた。

重臣隈部氏との敵対関係

[編集]

弘治2年(1556年)に、同族の木野親政が死去して、木野氏が断絶した事に由り、木野氏遺領を赤星道雲が相続した。

木野氏遺領の一部を欲しがった隈部親永が、佐賀の龍造寺氏と同盟した事で、庶流赤星氏と重臣隈部氏が敵対して行く事に成る。

永禄2年(1559年)に、隈部親永の600の軍勢に、木野氏遺領を侵軍されたので、赤星道雲は1500の軍勢を率いて迎え撃ったが、合勢川の戦いで大敗した。

永禄4年(1561年)に、赤星道雲の死去した後は、嫡男の赤星親隆が菊池郡隈府城城主となる。

天正9年(1581年)に、龍造寺氏の支援を受けた重臣隈部氏に、本拠地と成って居た菊池郡隈府城を奪われた。

赤星親隆に付いては、嫡男の赤星統家と共に、叔父の合志親賢合志郡竹迫城に身を寄せた[4][5][6][7]

赤星親隆の嫡男の、赤星統家に付いては、三男の赤星三郎と、娘の赤星安子を人質として、龍造寺氏に差し出して、臣従している[8][9]

天正11年(1583年)には、龍造寺氏に命じられた佐賀への参例を幾度も無視した事に由り、『疑心有り』と見做されて、人質として差し出していた三男と娘に付いては、山門郡竹井原で処刑されている[10][11][12][13][14]

龍造寺氏への恨みから、島津氏に臣従した。沖田畷の戦いでは、島津氏の先鋒となって龍造寺氏と戦った。

其の後の赤星氏

[編集]

以後も、島津氏と共に行動した事が原因で、豊臣秀吉九州平定の後で、菊池郡隈府城を取り戻す事が出来無かった。

しかし、赤星統家に付いては、加藤清正に家臣として仕えている[15]

慶長16年(1611年)に、加藤氏が死去した後で、赤星氏に付いては、肥後国を離れている。

慶長19年(1614年)に、赤星統家に付いては、肥前国島原で、口之津大殉教に由り、64歳で死去している[16]

元和5年(1619年)に、赤星親隆に付いては、阿波国で死去している。

系譜

[編集]

脚注

[編集]
  1. 1 2 3 太田 1934, p. 34.
  2. 『熊本県菊池市役所』に所管されている歴史資料では、延文4年(正平14年・1359年)8月6日に、筑後川の戦いで、第3代当主の赤星武貫が討死した事が原因で、赤星有隆の血筋が断絶した歴史が記載されている。
  3. 『熊本県菊池市役所』に所管されている歴史資料では、菊池八郎武豊に付いては、赤星氏の当主に成って赤星武生と名乗っている歴史が記載されている。
  4. 『佐賀県佐賀市史・第一巻』では、天正9年(1581年)4月13日に、赤星親隆の菊池郡隈府城が、隈部氏に攻撃されて、4月21日に赤星親隆が出奔した歴史が記載されている。
  5. 『熊本県菊池市史・上巻』では、菊池郡隈府城から退去した赤星道半親隆に付いては、従甥の合志隆重を頼って、合志郡竹迫城に移って居る事が記載されている。
  6. 『熊本県菊池郡西合志町史・通史編』では、菊池郡隈府城から退去した赤星統家に付いては、従叔父の合志親為を頼って、合志郡竹迫城に移って居る事が記載されている。
  7. 『熊本県鹿本郡菊鹿町史・本編』では、菊池郡隈府城から退去した赤星道半親隆に付いては、叔父(父の弟)の合志親賢を頼って、合志郡竹迫城に移って居る事が記載されている。
  8. 『熊本県菊池郡西合志町史・通史編』では、赤星親隆の孫で、赤星統家の三男の、赤星三郎に付いては、佐賀の龍造寺氏への人質として差し出された事が記載されている。
  9. 『熊本県菊池郡西合志町史・通史編』では、赤星親隆の孫で、赤星統家の娘の、赤星安子に付いては、佐賀の龍造寺氏への人質として差し出された事が記載されている。
  10. 『佐賀県佐賀市史・第一巻』では、佐賀の龍造寺氏の人質と成っている赤星新六郎に付いては、天正11年(1583年)1月13日に、三池郡竹井原で磔にされて処刑された事が記載されている。
  11. 山門郡竹井原に付いては、町村制施行に由る合併で山門郡竹海村と成った。其の後の合併に由り山門郡山川村と成った後で、山門郡竹海村だった地域が境界変更を経て三池郡高田町に成っている事に由り、『佐賀県佐賀市史・第一巻』では、三池郡竹井原だと間違えられて記載されている。
  12. 『コトバンク』では、竹井村に付いては、山門郡に所属している事が記載されている。
  13. 『熊本県菊池郡西合志町史・通史編』では、赤星親隆の孫で、赤星統家の三男の、赤星三郎に付いては、山門郡竹井原で処刑された事が記載されている。
  14. 『熊本県菊池郡西合志町史・通史編』では、赤星親隆の孫で、赤星統家の娘の、赤星安子に付いては、山門郡竹井原で処刑された事が記載されている。
  15. 赤星統家に付いては、『熊本県熊本市役所』で所管されて居る『加藤清正の家臣名簿』では、赤星太兵衛だと記載されている。
  16. 赤星統家に付いては、慶長19年(1614年)11月23日に、口之津大殉教に由り、64歳で殉教した赤星ジョルジ(赤星太郎兵衛)と同一人物。

注釈

[編集]
  1. 本姓については菊池氏も参照。
  2. 菊池郡赤星村、戸崎村大字赤星、現・菊池市赤星(1958年までは菊池町)

参考文献

[編集]
  • オープンアクセス太田亮国立国会図書館デジタルコレクション 赤星 アカホシ」『姓氏家系大辞典』 第1、上田萬年三上参次監修、姓氏家系大辞典刊行会、1934年4月1日、34ー35頁。 NCID BN05000207https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130845/90 国立国会図書館デジタルコレクション 
  • 日本切支丹宗門史(レオン‐パジェス、吉田小五郎訳、岩波文庫、1938年)←有馬・口之津の大殉教で、記載されている参考文献。
  • 佐賀県佐賀市史・第一巻(佐賀市史編纂委員会、1977年7月)
  • 日本キリシタン殉教史(片岡弥吉、時事通信社、1979年)←有馬・口之津の大殉教で、記載されている参考文献。
  • 熊本県菊池市史・上巻(菊池市史編纂委員会、1982年3月)
  • 熊本県菊池郡西合志町史・通史編(西合志町史編纂協議会、1995年3月)
  • 熊本県鹿本郡菊鹿町史・本編(菊鹿町史編集委員会、1996年3月)

外部リンク

[編集]

関連項目

[編集]