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豊田紡織廠

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豊田紡織廠(とよだぼうしょくしょう)は、かつて中国上海市にあった紡績会社。

概要

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1920年に豊田佐吉が上海で建設に着手した紡織工場であり[1]、1921年5月完成[1]。同年11月に豊田紡織廠(中国名、豊田紗廠)が設立された[1]。当初の社長は豊田佐であり[1]、没後は豊田利三郎豊田喜一郎であった。だが、彼ら豊田の経営陣トップはほとんど日本国内にいた[2]。そのため、豊田紡織廠における製造や経営の決定は、ほぼ西川秋次に委ねられた。後に豊田喜一郎が自動車事業をスタートさせた際、豊田紡織廠は資金面から支援するとともに、中国での事業展開に中枢的な役割を果たし、1940年の北支自動車工業の設立、1942年の華中豊田自動車工業の設立などに協力した[1]

1944年には豊田紡織の名称を引き継ぎ、社名を豊田紡織廠から豊田紡織に改めた[1]太平洋戦争の敗戦後、中国側に接収され、会社は消滅した[1]

現在はトヨタ紡織を中心に跡地の保存委員会が設立され、一般には非公開ながら上海豊田紡織廠記念館としてトヨタグループの歴史を伝えており、中国政府から文化財に指定されている[3]

経営陣

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g トヨタ企業サイト|トヨタ自動車75年史|第1部 第1章 第2節|第3項 株式会社豊田紡織廠の設立”. www.toyota.co.jp. 2022年7月7日閲覧。
  2. ^ ただし、豊田佐吉は上海でドイツ人から現地在住建築家の平野勇造を介して邸宅を保有していた(参考:山口勝治『三井物産技師平野勇造小伝―明治の実業家たちの肖像とともに―』西田書店、2011年、pp.94-95)
  3. ^ 佐吉が紡いだ日中友好 上海に世界のトヨタの礎”. 中日新聞 (2017年11月24日). 2017年11月24日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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