諏訪盛政
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 慶長12年(1607年) |
死没 | 貞享8年3月21日(1685年4月24日) |
改名 | 頼風→盛政 |
別名 | 国千代(幼名)、主税、図書(通称) |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 諏訪頼水→忠恒 |
藩 | 信濃諏訪藩家老 |
氏族 | 諏訪氏 |
父母 | 父:諏訪頼雄、母:松平一生の娘 |
兄弟 | 盛政、三安 |
妻 | 諏訪頼水の娘 |
子 | 盛住、頼来、土岐頼以、村上頼久、小澤正栄室、志賀近房室他 |
諏訪 盛政(すわ もりまさ)は、信濃諏訪藩の家老。諏訪図書家第2代。藩主・諏訪頼水の娘婿。
生涯
[編集]慶長19年(1614年)、大坂の陣の際に、藩主・頼永が甲府城守備を命じられ、その供をした。元和6年(1620年)、頼永が幕府より大坂加番を命じられ、その供をした。
元和7年(1621年)、父・頼雄の隠居により15歳で家督と知行1,000石を相続する。父より妖怪火車の爪と、藤嶋友重の刀(火車切)を譲られた。火車切は、母(松平一生の娘)が嫁ぐ際、松平家から贈られたもので、松平近正(一生の父)が火車退治に用いたものと伝わる。
寛永3年(1626年)、松平忠輝が諏訪藩に預けられることとなり、その警護を任される。
寛永10年(1633年)、家督を嫡男の盛住に譲り隠居する。貞享2年(1685年)3月21日、諏訪で死去。
人物
[編集]参考文献
[編集]- 諏訪教育会『諏訪史年表』
- 諏訪教育会『諏訪資料叢書第27巻』
- 諏訪教育会『諏訪の近世史』