松平一生

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松平一生
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 元亀元年(1570年
死没 慶長9年4月25日1604年5月23日
改名 新次郎、五左衛門(通称
戒名 松盛院殿華山浄栄大居士
墓所 栃木県日光市板橋の福生寺
幕府 江戸幕府
下野国板橋藩
氏族 大給松平家
父母 父:松平近正、母:大久保六左衛門の娘
正室:松平忠成の娘
成重
慈照院(日根野吉明正室)、娘(諏訪頼雄室)

松平 一生(まつだいら かずなり)は、安土桃山時代武将江戸時代初期の譜代大名で、下野板橋藩の初代藩主。一生系大給松平家初代。

元亀元年(1570年)、大給松平近正の長男として生まれる。天正13年(1585年)から徳川家康の近臣として仕え、慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の戦いで父が戦死したため、家督を継いだ。関ヶ原の後、父の武功を家康から賞されて、上野三ノ倉5500石から下野板橋1万石に加増移封されて大名となる。

慶長7年(1602年)、佐竹義宣常陸水戸から出羽久保田に移封されたとき、水戸城番を務め、佐竹氏旧臣が画策した一揆を鎮圧している。慶長9年(1604年)4月25日に死去した。享年35。

跡を長男の成重が継いだ。