菊茂琴昇

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菊茂 琴昇(きくしげ きんしょう、1914年 - 2007年)は、日本検校

徳島県阿南市生まれ。建設業藤代宇一・あさ夫婦の長男として出生。本名藤代一市。生後間もなく眼病罹り失明。2歳で神戸に移り、5歳で菊西繁樹に師事。大阪系生田流(菊筋)箏曲、野川流三味線の免許皆伝、大検校となる[1]

妹弟弟子に菊端園子菊艶操山の他、師匠菊西繁樹の四女菊西正子(大勾当)がいる。CDに「最後の大検校菊茂琴昇の芸」「米寿記念大検校菊茂琴昇」「三下り八段~菊茂琴昇の三弦」がある。

脚注[編集]

  1. ^ CD『最後の大検校菊茂琴昇の芸』解説「秘すれば花の」橋本雄二著、1997年10月