童夢・ML

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童夢・ML PROTOTYPEは、1990年代後半に童夢が開発した、ツインリンクもてぎのオーバルコースの走行を考慮された、シングルシーターのフォーミュラカー(オープンホイールマシン)である。車名の「ML」は「もてぎライツ」「無限ライツ」「メジャーリーグ」など複数の意味を略したものとされる[1]

本田技研工業(ホンダ)とM-TEC(無限)が同プロジェクトに参画し、自然吸気V型8気筒エンジン(3,000cc)を搭載する。車格は当時のF3000クラスのシャシーである。

チーフデザイナーは奥明栄。シェイクダウン・テストから当時のフォーミュラ・ニッポン用シャシーに匹敵する走行性能を示したが、テスト走行を行うに留まった。

背景[編集]

当時ホンダでは、ツインリンクもてぎのオーバルコースの活用を念頭に置いたフォーミュラカーの開発を計画しており、そのためのシャシー設計を童夢に依頼。その結果誕生したのが本マシンである。テストドライバーには、当時ホンダ所属だった脇阪寿一が主に起用された[1]

1998年、童夢創業者の林みのるは、外国からの購入に頼る日本のレース界の現状に危惧しており、F3000から名前を変えたフォーミュラ・ニッポンの主催団体である日本レースプロモーション(JRP)に、無限と共に日本製のレーシングカー提供を持ちかけた。林によれば、これには「オーバルでのレースをフォーミュラ・ニッポンに組み込みたい」とのホンダの意向も働いていたとされる[2]。しかし、JRPからは「特定のコンストラクターが利益を得るのは良くない。また、今までお世話になったエンジンチューナーに損害を与える様なエンジンは導入出来ない。」として、あっさり断られてしまった[3]。 結果として同車両は、実際のレースに使われる事なく幻のレーシングカーになってしまった。

仕様・特徴[編集]

所在[編集]

童夢が所有する風流舎の風管下の仮設ミュージアムに保管されている。(2015年時点)[5]

脚注[編集]

  1. ^ a b 「忘れられない、あの瞬間」ツインリンクもてぎ20周年企画第3回:脇阪寿一 - オートスポーツ・2017年6月27日
  2. ^ 自動車 - 林みのるの穿った見方
  3. ^ 『Racing on No,403 [特集]童夢』ニューズ出版、2006年6月1日。 
  4. ^ ML PROTOTYPE 1998”. dome museum. 2020年1月17日閲覧。
  5. ^ 『童夢の奇跡』童夢、2015年7月15日。