石興

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石 興(せき こう、生没年不詳)は、五胡十六国時代後趙の皇族。明帝石勒の長男。

生涯[編集]

石勒の長男として生まれる。

314年2月、石勒は当時幽州に割拠していた王浚を攻めようとしたが、劉琨鮮卑烏桓が後難となることを恐れており、そこで張賓の献策を納れて劉琨に任子を送り、和睦を請うた。この時、人質として送られたのが石興ではないかと考えられる。

王浚が討たれた後、漢(後の前趙)の劉聡は使者の范龕に節を持たせて石勒に策命を下し、弓矢を賜り、陝東伯に任命して、征伐の専任を認めた。この際に石興は上党国世子となり、翼軍将軍を加えられ、石勒の副弐とされた。

早くに亡くなり、石勒は石興に代わって次男の石弘を世子に立てた。

参考文献[編集]