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石渡繁胤

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石渡繁胤

石渡 繁胤(いしわたり しげたね[1][2]又はいしわた しげたね[3]明治元年10月3日1868年11月16日[4] - 1941年8月18日[1][2])は、日本の養蚕学者。

蚕の雌雄鑑別法で成果を上げた[5][1][2]

1901年に、蚕に卒倒病を引き起こす病原細菌を発見した[3][6]。石渡はこの細菌を卒倒病菌と名付け、後にバチルス・チューリンゲンシスと命名された[3][6]

妻は政治家中村舜次郎の二女のトシ[4]正五位勲五等[4]

経歴

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明治元年(1868年)、現在の神奈川県逗子市出身[5]。明治25年(1892年)東京帝国大学農科大学を卒業し、農商務技師[2][5]兼蚕業講習所技師[5]、明治41年(1908年)に京都蚕業講習所[5][1][2]、明治44年(1911年)に原蚕種製造所技師[5][1][2]、蚕業試験所技師[5]東京農業大学教授[5][2]などを歴任した。大正元年(1912年)農学博士の学位を取得した[5]

出典

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  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石渡繁胤」
  2. ^ a b c d e f g 20世紀日本人名事典 「石渡 繁胤」
  3. ^ a b c 望ましい遺伝子の探索(日経サイエンス)
  4. ^ a b c 人事興信所 1915, い139頁.
  5. ^ a b c d e f g h i 帝国発明家名鑑 p.120
  6. ^ a b 浅野眞一郎「蚕糸昆虫研究におけるBT研究の歴史について」『蚕糸・昆虫バイオテック』第77巻第3号、2008年、181-186頁。 

参考文献

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