矢田部喜信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

矢田部 喜信(やたべ よしのぶ、文政5年3月5日1822年4月26日) - 明治31年(1898年10月26日)は、幕末から明治時代国学者歌人。通称は武助[1]。変名に浅見平八郎簡明[1]

経歴・人物[編集]

周防国に生まれる[1][2]。幼少期より読書を好み古典仏典に通じる[2]鈴木高鞆らと交流し、尊王攘夷運動に関わる[1]。また、歌を能くし『明治五百人一首』などに歌がのる[1]。晩年は風病に罹患し17年の闘病の末、没した[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『矢田部喜信』 - コトバンク
  2. ^ a b c 上田萬年『国学者伝記集成: 続篇』国本出版社、p.330(1935)