町田重備
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町田 重備(まちだ しげとも、文久元年8月11日[1](1861年9月15日) - 大正11年(1922年)2月12日[2])は、日本の逓信官僚。錦鶏間祗候。
経歴
[編集]東京府に横瀬貞幹の二男として生まれ、町田きくの養子となった[1]。1877年(明治10年)に陸軍士官学校に入るが病のため退学した[1]。1883年(明治16年)、東京外国語学校仏語簡易科(現在の東京外国語大学)を卒業[1]。その後帝国大学書記を務めた後、帝国大学法科大学に入学し、1888年(明治21年)に卒業した[1]。枢密院雇、法制局参事官試補、衆議院書記官を経て、1895年(明治28年)に逓信書記官となった[3]。逓信省では京都郵便電信局長、神戸郵便電信局長、大阪郵便局長、逓信省経理局長を歴任した[3]。1913年(大正2年)、退官[3]。1915年(大正4年)7月9日に錦鶏間祗候を仰せ付けられた[4]。
出典
[編集]- ^ a b c d e 人事興信録 1911.
- ^ 『官報』第2861号、大正11年2月17日。
- ^ a b c 「町田重備特旨叙位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11113003200
- ^ 『官報』第882号、大正4年7月10日。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。
- 「町田重備特旨叙位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11113003200