犬塚鎮家

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犬塚鎮家
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 不明
別名 盛家、犬塚弾正
官位 播磨守
主君 少弐資元龍造寺隆信
氏族 犬塚氏
父母 犬塚家清
兄弟 尚家鎮家家昌
鎮盛久直正盛平内盛弘
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犬塚 鎮家(いぬづか しげいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将少弐氏龍造寺氏の家臣。肥前国神埼郡小松城主。「藤津両弾二島」の一人。

龍造寺氏配下の武勇優れた4人(大村弾正犬塚弾正百武志摩守上瀧志摩守)を両弾二島と呼び賞賛した。

略歴[編集]

犬塚氏筑後国宇都宮氏族蒲池氏庶流。

享禄3年(1530年)、田手畷の戦いでは父・家清と共に少弐資元に属して大内義隆と戦う。永禄12年(1569年)の東西犬塚氏の抗争では西犬塚を支持する。天正4年(1576年)、龍造寺隆信の肥前藤津郡横澤城攻めで先陣を切る。天正9年(1581年)、龍造寺政家肥後国侵攻に従軍した。五ヶ国御領地之節配分帳には犬塚盛家570町とある。