「ピート・シンフィールド」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
fr,ru |
編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
'''ピート・シンフィールド'''(ピーター・シンフィールド, '''Peter Sinfield''' |
'''ピート・シンフィールド'''(ピーター・シンフィールド, '''Peter Sinfield''', [[1943年]][[12月27日]])は、[[イギリス]]生まれの[[詩人]]・[[作詞家]]。 |
||
初期の[[キング・クリムゾン]]で「作詞を担当する準メンバー」という極めて特異な立場で参加していた。1972年初頭にクリムゾンを脱退。一年後の1973年にソロ・アルバム「STILL」を完成させる。 |
初期の[[キング・クリムゾン]]で「作詞を担当する準メンバー」という極めて特異な立場で参加していた。ロック・ミュージックに壮大なスケールの世界観を持ち込み、バンドの方向性を決定付けた。[[1972年]]初頭にクリムゾンを脱退。一年後の[[1973年]]にソロ・アルバム「STILL」を完成させる。([[1993年]]にピート・シンフィールド名義で、CD「Stillusion」として再発売) |
||
基本的にはミュージシャンでは無いが、1970年代前半の[[プログレッシブ・ロック]]・シーンに於けるピート・シンフィールドの業績は大きいと言える。[[キング・クリムゾン]]での実績はもちろんだが、[[エマーソン・レイク・アンド・パーマー]]の「[[恐怖の頭脳改革]]」に作詞で参加したり、まだ世界的に無名だったイタリアの[[プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ|PFM]]をマンティコア・レーベルで国際展開させる |
基本的にはミュージシャンでは無いが、[[1970年代]]前半の[[プログレッシブ・ロック]]・シーンに於けるピート・シンフィールドの業績は大きいと言える。[[キング・クリムゾン]]での実績はもちろんだが、[[エマーソン・レイク・アンド・パーマー]]の「[[恐怖の頭脳改革]]」に作詞で参加したり、まだ世界的に無名だった[[イタリア]]の[[プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ|PFM]]をマンティコア・レーベルで国際展開させるといった活動歴を残している。また、[[シェール]]や[[セリーヌ・ディオン]]の作品に歌詞を提供し、世界的な成功を収めている。 |
||
==外部リンク== |
==外部リンク== |
2006年12月21日 (木) 12:51時点における版
ピート・シンフィールド(ピーター・シンフィールド, Peter Sinfield, 1943年12月27日)は、イギリス生まれの詩人・作詞家。
初期のキング・クリムゾンで「作詞を担当する準メンバー」という極めて特異な立場で参加していた。ロック・ミュージックに壮大なスケールの世界観を持ち込み、バンドの方向性を決定付けた。1972年初頭にクリムゾンを脱退。一年後の1973年にソロ・アルバム「STILL」を完成させる。(1993年にピート・シンフィールド名義で、CD「Stillusion」として再発売)
基本的にはミュージシャンでは無いが、1970年代前半のプログレッシブ・ロック・シーンに於けるピート・シンフィールドの業績は大きいと言える。キング・クリムゾンでの実績はもちろんだが、エマーソン・レイク・アンド・パーマーの「恐怖の頭脳改革」に作詞で参加したり、まだ世界的に無名だったイタリアのPFMをマンティコア・レーベルで国際展開させるといった活動歴を残している。また、シェールやセリーヌ・ディオンの作品に歌詞を提供し、世界的な成功を収めている。
外部リンク
- Song Soup On Sea - 公式サイト