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'''安積 澹泊'''('''あさか たんぱく'''、[[明暦]]2年([[1656年]])~[[元文]]2年([[1737年]]))は、[[江戸時代]]中期の[[儒学者]]。
'''安積 澹泊'''('''あさか たんぱく'''、[[明暦]]2年([[1656年]]) - [[元文]]2年[[12月10日 (旧暦)|12月10日]]([[1738]][[1月29日]]))は、[[江戸時代]]中期の[[儒学者]]。諱は覚、字は子先、通称は覚兵衛、号は澹泊、老圃、老圃常山など


[[朱舜水]]に[[儒学]]を学び、[[徳川光圀]]を助けて『[[大日本史]]』を編纂する。安積澹泊の歴史観は[[名分論]]に立ったものであり、[[水戸学]]の基礎を築いたと評価される。
[[朱舜水]]に[[儒学]]を学び、[[徳川光圀]]を助けて『[[大日本史]]』を編纂する。安積澹泊の歴史観は[[名分論]]に立ったものであり、[[水戸学]]の基礎を築いたと評価される。


『[[水戸黄門]]』の[[渥美格之進]](格さん)のモデルになった人物である。
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==関連項目==
*[[佐々宗淳]] - [[佐々木助三郎]](助さん)のモデル

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[[Category:儒学者|あさか たんはく]]
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[[Category:江戸時代の人物|あさか たんはく]]
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2006年12月16日 (土) 12:45時点における版

安積 澹泊あさか たんぱく明暦2年(1656年) - 元文2年12月10日1738年1月29日))は、江戸時代中期の儒学者。諱は覚、字は子先、通称は覚兵衛、号は澹泊、老圃、老圃常山など。

朱舜水儒学を学び、徳川光圀を助けて『大日本史』を編纂する。安積澹泊の歴史観は名分論に立ったものであり、水戸学の基礎を築いたと評価される。

水戸黄門』の渥美格之進(格さん)のモデルになった人物である。

関連項目