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朝鮮における雲鑼
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[[File:Chinese orchestra - percussion section.jpg|thumb|現代の管弦楽用の大型の雲鑼]]
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'''雲鑼'''(うんら)は、[[中国]]の伝統的な[[体鳴楽器]]。枠に並べた小さな[[銅鑼]]を槌で鳴らすことによって旋律を演奏することができる。現在も使われる。日本でも[[明清楽]]で使われた。


'''雲鑼'''(うんら)は、[[中国]]の伝統的な[[体鳴楽器]]。枠に並べた小さな[[銅鑼]]を槌で鳴らすことによって旋律を演奏することができる。中国および韓国で現在も使われる。日本でも[[明清楽]]で使われた。
== 構造 ==
== 構造 ==
伝統的な雲鑼は、音高の異なる銅製の小さな円盤('''鑼'''、10面のものが最も多い)を木製の枠の中に並べたもので、枠の下部につけられた柄を片手で持ち、もう一方の手に槌を持ってたたく方式(行楽)と、枠を固定して両手でたたく方式(坐楽)がある<ref name="cidian">{{cite book|和書|title=中国音楽詞典|publisher=人民音楽出版社|year=1985|pages=487-488}}</ref>。
伝統的な雲鑼は、音高の異なる銅製の小さな円盤('''鑼'''、10面のものが最も多い)を木製の枠の中に並べたもので、枠の下部につけられた柄を片手で持ち、もう一方の手に槌を持ってたたく方式(行楽)と、枠を固定して両手でたたく方式(坐楽)がある<ref name="cidian">{{cite book|和書|title=中国音楽詞典|publisher=人民音楽出版社|year=1985|pages=487-488}}</ref>。


音高は地域によってさまざまに異なるが、音域は通常1[[オクターブ]]強である<ref>(1982) pp.22-23</ref>。それぞれの鑼の大きさは同じだが、厚さを変えることで音高を変えている<ref name="cidian"/>。
音高は地域によってさまざまに異なるが、音域は通常1[[オクターブ]]強である{{Sfn||1982|p=22-23}}。それぞれの鑼の大きさは同じだが、厚さを変えることで音高を変えている<ref name="cidian"/>。


近代には民族管弦楽団で使用するために面数の多い大型の雲鑼が作られた。[[1975年]]に上海電影楽団が初演した「鋼水奔流」は、26面の雲鑼のための3楽章からなる[[協奏曲]]である<ref>(1982) pp.24-25</ref>。さらに大きな37面の雲鑼も存在する。これらの大型の雲鑼では低音部に大きな鑼を使用する。
近代には民族管弦楽団で使用するために面数の多い大型の雲鑼が作られた。[[1975年]]に上海電影楽団が初演した「鋼水奔流」は、26面の雲鑼のための3楽章からなる[[協奏曲]]である{{Sfn||1982|p=24-25}}。さらに大きな37面の雲鑼も存在する。これらの大型の雲鑼では低音部に大きな鑼を使用する。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
『[[元史]]』によれば、[[元 (王朝)|元]]の宮廷の宴楽では、小さな銅鑼13個を木枠に収め、左手で持って右手に持った槌でたたく「雲璈」(うんごう)という楽器が使われていた<ref>[[s:zh:元史/卷071|『元史』礼楽志五]]「雲璈、制以銅為小鑼十三、同一木架、下有長柄。左手持而右手以小槌撃之。」</ref>。これが現在の雲鑼の元であると考えられる。ただし、元代の壁画に描かれた雲鑼は銅鑼の面数が一定せず、10枚のものもあれば14枚のものもある<ref>(1981) p.729</ref>
『[[元史]]』によれば、[[元 (王朝)|元]]の宮廷の宴楽では、小さな銅鑼13個を木枠に収め、左手で持って右手に持った槌でたたく「雲璈」(うんごう)という楽器が使われていた<ref>[[s:zh:元史/卷071|『元史』礼楽志五]]「雲璈、制以銅為小鑼十三、同一木架、下有長柄。左手持而右手以小槌撃之。」</ref>。これが現在の雲鑼の元であると考えられる。ただし、元代の壁画に描かれた雲鑼は銅鑼の面数が一定せず、10枚のものもあれば14枚のものもある{{Sfn||1981|p=729}}


それ以前の[[宋 (王朝)|宋]]に雲鑼があったかどうかは議論がある。蘇漢臣が描いたという「貨郎図」([[台湾]]の[[故宮博物院|国立故宮博物院]]蔵)に十面の雲鑼が描かれているという説があるが、この絵は元代以降のものだという<ref name="shi2011">{{cite journal|和書|url=http://1www.tnua.edu.tw/~TNUA_MUSIC/files/archive/114_c8696265.pdf|title=中國鑼的歷史及其形制之研究|author=施德華|journal=關渡音樂學刊|issue=15|year=2011|page=13}}</ref>。しかし、[[四川省]][[南江県|南江]]から出土した宋代の数面の鑼は雲鑼かもしれないという<ref name="shi2011"/>
それ以前の[[宋 (王朝)|宋]]に雲鑼があったかどうかは議論がある。蘇漢臣が描いたという「貨郎図」([[台湾]]の[[故宮博物院|国立故宮博物院]]蔵)に十面の雲鑼が描かれているという説があるが、この絵は元代以降のものだという。しかし、[[四川省]][[南江県|南江]]から出土した宋代の数面の鑼は雲鑼かもしれないという{{Sfn|施|2011|p=13}}


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== 朝鮮における雲鑼 ==
韓国の伝統音楽の「国楽」でも使用される。国楽器のなかでは、比較的新しく広まったもの。中国から伝来した時期については明確には分かっておらず、[[李氏朝鮮]]時代の代表的な音楽書である『楽学軌範』(1493年)に記載がなく、李氏朝鮮後期の文献に現れることから推定するほかない{{Sfn|成|2022|p=31}}。

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雲鑼は他の打楽器と一緒に演奏されることが多く、単独で使用する楽曲はほとんどない。{{ruby|守門将|スムンジャン}}(宮廷や城門を守る武官)の交代や、{{ruby|御駕|オガ}}(王が乗る輿)の行列を再現した行事の際、行進曲で使われる{{Sfn|成|2022|p=31}}。


== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
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== 関連項目 ==
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== 外部リンク ==
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2022年6月13日 (月) 12:54時点における版

雲鑼
李卓吾評本『琵琶記』の挿絵。
5面の雲鑼が描かれている
各種表記
繁体字 雲鑼
簡体字 云锣
拼音 yúnluó
発音: ユンルオ
日本語読み: うんら
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現代の管弦楽用の大型の雲鑼

雲鑼(うんら)は、中国の伝統的な体鳴楽器。枠に並べた小さな銅鑼を槌で鳴らすことによって旋律を演奏することができる。中国および韓国で現在も使われる。日本でも明清楽で使われた。

構造

伝統的な雲鑼は、音高の異なる銅製の小さな円盤(、10面のものが最も多い)を木製の枠の中に並べたもので、枠の下部につけられた柄を片手で持ち、もう一方の手に槌を持ってたたく方式(行楽)と、枠を固定して両手でたたく方式(坐楽)がある[1]

音高は地域によってさまざまに異なるが、音域は通常1オクターブ強である[2]。それぞれの鑼の大きさは同じだが、厚さを変えることで音高を変えている[1]

近代には民族管弦楽団で使用するために面数の多い大型の雲鑼が作られた。1975年に上海電影楽団が初演した「鋼水奔流」は、26面の雲鑼のための3楽章からなる協奏曲である[3]。さらに大きな37面の雲鑼も存在する。これらの大型の雲鑼では低音部に大きな鑼を使用する。

歴史

元史』によれば、の宮廷の宴楽では、小さな銅鑼13個を木枠に収め、左手で持って右手に持った槌でたたく「雲璈」(うんごう)という楽器が使われていた[4]。これが現在の雲鑼の元であると考えられる。ただし、元代の壁画に描かれた雲鑼は銅鑼の面数が一定せず、10枚のものもあれば14枚のものもある[5]

それ以前のに雲鑼があったかどうかは議論がある。蘇漢臣が描いたという「貨郎図」(台湾国立故宮博物院蔵)に十面の雲鑼が描かれているという説があるが、この絵は元代以降のものだという。しかし、四川省南江から出土した宋代の数面の鑼は雲鑼かもしれないという[6]

中国の雅楽では原則として使われないが、の雅楽の一種である丹陛楽では方響とともに雲鑼が使われている[7]

湯島聖堂での明楽の演奏(坂田古典音楽研究所)。2008.4.20撮影。10面の雲鑼が見える

朝鮮における雲鑼

韓国の伝統音楽の「国楽」でも使用される。国楽器のなかでは、比較的新しく広まったもの。中国から伝来した時期については明確には分かっておらず、李氏朝鮮時代の代表的な音楽書である『楽学軌範』(1493年)に記載がなく、李氏朝鮮後期の文献に現れることから推定するほかない[8]

銅製の銅鑼ドンラを10枚、木の枠に吊り下げたような構造をしている。銅鑼は中央上部に1枚、その下に3行3列の計10枚ある。下の行の銅鑼は音程が低く、同じ行ならば1列から3列に向かって音程が高くなる。中央上部の銅鑼が最も音程が高い。これらを両手または片手に持ったバチで叩いて演奏する[8]

雲鑼は他の打楽器と一緒に演奏されることが多く、単独で使用する楽曲はほとんどない。守門将スムンジャン(宮廷や城門を守る武官)の交代や、御駕オガ(王が乗る輿)の行列を再現した行事の際、行進曲で使われる[8]

脚注

  1. ^ a b 『中国音楽詞典』人民音楽出版社、1985年、487-488頁。 
  2. ^ 胡 1982, p. 22-23.
  3. ^ 胡 1982, p. 24-25.
  4. ^ 『元史』礼楽志五「雲璈、制以銅為小鑼十三、同一木架、下有長柄。左手持而右手以小槌撃之。」
  5. ^ 楊 1981, p. 729.
  6. ^ 施 2011, p. 13.
  7. ^ 楊 1981, p. 1006.
  8. ^ a b c 成 2022, p. 31.

参考文献

  • 胡登跳『民族管弦楽法』上海文芸出版社、1982年。 
  • 楊蔭瀏『中国古代音楽史稿 下冊』人民音楽出版社、1981年。 
  • ソン・ヘイン(成恵仁)「越境する国楽器」『Koreana』第29巻第1号、The Korea Foundation、済州特別自治道西帰浦市、2022年、28-33頁、ISSN 1225-4592 
  • 施德華「中國鑼的歷史及其形制之研究」『關渡音樂學刊』第15号、国立台北芸術大学音楽学院、2011年。 

関連項目

外部リンク