「ヴィターレ・ミキエル2世」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
新しいページ: 「'''''ヴィターレ・ミキエル2世'''とは、ヴェネチア共和国におけるドージェである。(在位1156年1172年)」
タグ: 小さな記事の作成 参考文献(出典)に関する節がない記事の作成 カテゴリを含まない記事の作成 モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
 
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
1行目: 1行目:
'''''ヴィターレ・ミキエル2世'''とは、[[ヴェネチア共和国]]における[[ドージェ]]である。(在位[[1156年]]~[[1172年]])
'''''ヴィターレ・ミキエル2世'''とは、[[ヴェネチア共和国]]における[[ドージェ]]である。(在位[[1156年]]~[[1172年]])

==概要==
ヴィターレ・ミキエルはヴェネチアと[[ビザンツ帝国]]との関係が緊張している頃にヴェネチアのドージェに就任し、ちょうどその頃[[イタリア半島]]において商業的な収入が増加していたことから、当時のイタリアに強い影響力のあった[[神聖ローマ帝国]][[皇帝]]:[[フリードリヒ1世]]との関係性を重視し接近する。しかし、不運にも小国ヴェネチアは東西の両帝国間の紛争に巻き込まれることとなる。

2020年3月18日 (水) 16:11時点における版

ヴィターレ・ミキエル2世とは、ヴェネチア共和国におけるドージェである。(在位1156年1172年)

概要

ヴィターレ・ミキエルはヴェネチアとビザンツ帝国との関係が緊張している頃にヴェネチアのドージェに就任し、ちょうどその頃イタリア半島において商業的な収入が増加していたことから、当時のイタリアに強い影響力のあった神聖ローマ帝国皇帝:フリードリヒ1世との関係性を重視し接近する。しかし、不運にも小国ヴェネチアは東西の両帝国間の紛争に巻き込まれることとなる。