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[[File:Palace reception near Hakodate in 1751. Ainu bringing gifts.jpg|thumb|1|ウイマムを描いた[[アイヌ絵]]]] |
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'''ウイマム'''は、[[アイヌ]]が近隣の首長との間で行った[[交易]]形態。後に[[松前藩]]がアイヌの[[名主|乙名]]を藩主に拝謁させる[[儀式]]へと転化させた。 |
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== 参考文献 == |
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*[[佐々木利和]]「ウイマム」(『日本史大事典 1』([[平凡社]]、1992年) ISBN 978-4-582-13101-7) |
*[[佐々木利和]]「ウイマム」(『日本史大事典 1』([[平凡社]]、1992年) ISBN 978-4-582-13101-7) |
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*[[菊池勇夫 (日本史学者)|菊池勇夫]]「ウイマム」(『国史大辞典 15』([[吉川弘文館]]、1996年) ISBN 978-4-642-00515-9) |
*[[菊池勇夫 (日本史学者)|菊池勇夫]]「ウイマム」(『国史大辞典 15』([[吉川弘文館]]、1996年) ISBN 978-4-642-00515-9) |
2019年5月28日 (火) 07:39時点における版
ウイマムは、アイヌが近隣の首長との間で行った交易形態。後に松前藩がアイヌの乙名を藩主に拝謁させる儀式へと転化させた。
概要
本来は時を定めて毛皮や海産物・工芸品などの特産物を積んだ特別な船(ウイマムチップ)で松前を訪問し、領主に拝謁してこれらを献上して、松前藩側から酒や衣服を得て帰郷する形態であった。
ウイマムの語源としては、日本語の「ういまみえ(初見)」「おめみえ(御目見得)」の転訛説とアイヌ語の「交易」を意味する語とする説がある。
元和元年(1615年)、アイヌの乙名が松前藩主・松前公広に拝謁して海獺の毛皮を献上したのを機にアイヌによる松前藩へのウイマムが開始されたが、後に松前藩(公儀御料時代は松前奉行)が蝦夷地統治の手段として用いられるようになると、藩主がアイヌに謁見する「謁見礼」「目見得礼」へと転化していった。松前奉行支配の文化13年(1816年)は蝦夷地の場所を5つに分けて、漁閑期にあたる7月から9月に交替でウイマムを行わせた。また、幕府の巡検使に対するウイマムも行われた。
アイヌからの献上品は毛皮や海産物・工芸品など、松前藩・松前奉行からの下賜品は拝謁者の身分によって異なるものの、陣羽織・漆器・煙草・酒などであった。
参考文献
- 佐々木利和「ウイマム」(『日本史大事典 1』(平凡社、1992年) ISBN 978-4-582-13101-7)
- 菊池勇夫「ウイマム」(『国史大辞典 15』(吉川弘文館、1996年) ISBN 978-4-642-00515-9)
- 佐々木利和「ウイマム」(『日本歴史大事典 1』(小学館、2000年) ISBN 978-4-095-23001-6)