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:::さらに1週間経ちましたが、コメントがございませんでしたので、本件は現状維持で終了とさせていただきます。今後、関連作品節より作品を除去しようと思われる方は、本ノートで合意を取ってから行うようお願いいたします。--[[利用者:立花左近|立花左近]]([[利用者‐会話:立花左近|会話]]) 2012年8月5日 (日) 14:16 (UTC)
:::さらに1週間経ちましたが、コメントがございませんでしたので、本件は現状維持で終了とさせていただきます。今後、関連作品節より作品を除去しようと思われる方は、本ノートで合意を取ってから行うようお願いいたします。--[[利用者:立花左近|立花左近]]([[利用者‐会話:立花左近|会話]]) 2012年8月5日 (日) 14:16 (UTC)

== 「元の如し」の意味がわからないなら「元の如し」は使わないでください。 ==

「元の如し」というのは「本来なら辞退すべきところを理由があって辞退しなかった」ときに使うことばです。近衛中将が三位に昇進すれば、当然に中将は辞退しますが、まれに辞退しないケースがあります。これを特に「三位中将」と言い「公卿補任」には「中将如元」と書かれます。歴史上の人物の履歴にやたらに「元の如し」を使いたい一群の人々がいるようですが、そのくらいのことは心得てから使ってください。「従三位に昇叙、枢密顧問官元の如し」ということは、枢密顧問官が従三位に昇叙されたら、当然に枢密顧問官を辞任しなければならない慣行があり、勝はその例外だったという意味になります。明治時代にそういう慣行がありましたか。あったのなら、出典を示してください。--[[特別:投稿記録/124.27.73.190|124.27.73.190]] 2019年4月26日 (金) 11:50 (UTC)

2019年4月26日 (金) 11:50時点における版

福沢の『福翁自伝』には木村が「艦長」、勝は「指揮官」としている→外国かぶれの福翁は米国海軍式に表現したんだろうね。61.210.161.11 2005年10月7日 (金) 07:30 (UTC)[返信]

米国式に表現したのなら、木村を「提督」、勝を「艦長」としているはずです。福澤の勝への言及は、かなり私情を交えていますから、これも恐らくわざわざそうしたのでしょう--松貝舟 2008年6月27日 (金) 16:39 (UTC)[返信]

書いた人は勝海舟のファンなんだろうが。

自らお役ごめんを願い出、江戸に帰る。勝が出世欲の塊であるという一部の見識はこれを見ても根拠のないことが分かるであろう →出世意欲の塊の人は、しばしば利の無いときはひっこむもので、曹操なども黄巾の乱の後、浪人しているし。

子爵を突き返した為、新政府側が慌てて伯爵に格上げした。これも爵位などにこだわらない勝の姿勢の現れである。→十分、こだわっているように見えるが。。 61.210.161.11 2005年10月7日 (金) 07:39 (UTC)[返信]

歴史的事実を記述するのは差し支えないですが、その時の当事者の心情をあれこれ推測して書くのはどうでしょうか。
当事者のその時の日記や書簡、あるいは関係者のそれがなければ証明は不可能です。出世欲の塊云々や爵位にこだわ
る云々は、否定、肯定もできないことです。百科事典に載せるべきこととは思えません--松貝舟 2008年6月27日 (金) 16:39 (UTC)[返信]

西郷隆盛との初対面の時期について

西郷隆盛のWikipediaのページでは初対面は第一次長州征伐前後となっています。 どちらが正しいのでしょうか?--ミズクサ 2006年6月6日(火)

諸説あります。--R.Sakamoro 2007年8月25日 (土) 22:54 (UTC)[返信]

ぎぼうしさんへ

勝海舟で加筆されましたがその場所については確信がありますか。話ではあったとしても考えにくいのですが。--R.Sakamoro 2007年8月25日 (土) 22:57 (UTC)[返信]

千束軒の焼失について

千束軒は戦災で失われることはなく、戦後まもなく漏電による火災で焼失しました。

脚注について

脚注は、雑多に注釈を列挙する場所ではなく、本来は引用文献を列挙するものです。 注釈に引用文献が埋もれてしまってみにくいので、注釈文にはgroup="注"をつけて勝海舟#注釈の節に表示されるように加筆しました。また、注釈文の量が多くて雑多なので勝海舟#注釈の節にTemplate:雑多つけさしていただきました。多すぎる注釈は読みにくいので、できるだけ注釈のいらない本文となるように心がけたいものです。Help:脚注Wikipedia:スタイルマニュアルWikipedia:出典を明記するなども参考に編集しましょう。--61.114.204.134 2010年11月7日 (日) 20:00 (UTC)[返信]

注釈は量が多くて雑多になります。理由は本文の補注だからです。テンプレートをはがします。--T34-76 2011年7月15日 (金) 14:56 (UTC)[返信]

晩年は孤独であったという記載について

『晩年は、ジャーナリストを相手に自説を開陳するものの、子供たちの不幸に悩み続け、その上、孫の非行にも見舞われ、孤独な生活だったという』 現行の記事にはこのように晩年の姿を表現していますが、その索引元がお墓のHP記載でありそれも出典元がありません。 「孤独であった」という記載を続けるならば歴史的に信用が足ると思われる文献からの出典を希望します。 なお、巌本善治の「海舟座談」に亡くなる5日前の海舟の様子から明治28年まで多くの人物の前で語った内容が書いてありますがこれを読む限りは結構しょっちゅうジャーナリストに限らず多くの様々な職種の人間が勝邸を訪れ話を聞いているように思われ「孤独な生活」という印象はないのですが。 いかがでしょうか? --115.176.9.83 2012年1月26日 (木) 04:54 (UTC)[返信]

上の方のご意見に追加して、「義理の孫・精の非行にも見舞われ」とありますが、に勝家との養子縁組の申し入れがあったのは1892年、精3歳の時で、実際に勝家に婿養子に入ったのは海舟死去翌日の1899年1月20日、つまり精10歳の時ということになります。同居もしていない10歳またはそれ未満の孫による、祖父を孤独にさせるような非行とはいったい何を指すのかはなはだ疑問に思うところです。--Ryota7906会話2016年2月24日 (水) 08:57 (UTC)[返信]

関連作品について

「単に出てるだけ」のものだけでなく、物語上重要な位置づけの作品まで無差別に消されてるように見えます。そもそも、勝手に「主題とした作品」と決めることが問題ですね。合意を図ってからにしては如何でしょうか?--uaa会話2012年7月21日 (土) 17:49 (UTC)[返信]

全くその通りだと思います。このようなことに関してはPortal‐ノート:歴史#フィクション作品の情報を原則として人物記事に載せない旨の合意について提案プロジェクト‐ノート:人物伝#歴史上実在人物の記事の、登場作品一覧についてなどで議論が行われましたが、結論は出ておりませんので、個々の記事ごとに検討するしかありません。本記事において異論が出た以上は、除去される前の状態に一旦戻して議論するのが良いと思います。その後は、合意が得られるまでくれぐれも編集合戦(3RR)にならないようにご注意願います。--立花左近会話2012年7月21日 (土) 23:25 (UTC)[返信]

主題と関わりが薄い配役リストを除去する理由は既に提示済みですので、単なる配役リストが当該人物の記事に記載されなければいけないほど「記事の主題への寄与が大き」く(WP:NOTDIRECTORY)あらゆる細部に至るまですべて包括する詳細な解説(WP:IINFO)ではないことを示して下さい。示されなければ除去という結論しかありません。「物語上重要な位置づけの作品」は執筆者の主観ですから、それを示す論拠・出典も必要ですね。--彩華1226会話2012年7月22日 (日) 03:50 (UTC)[返信]

「示されなければ除去という結論しかありません」と決め付けず、合意形成をして下さい。「「物語上重要な位置づけの作品」は執筆者の主観」だとおっしゃるなら、「それを示す論拠・出典」などあるはずないと思われます。何を残し何を除去するかは、まさに一人ひとりの執筆者の主観によらず、議論の上合意形成を行って決めるべきでしょう。--立花左近会話2012年7月22日 (日) 05:37 (UTC)[返信]
「主題と関わりが薄い配役リストを除去する理由は既に提示済み」とのことですが、「主題と関わりが薄い配役リスト」であるか否かの判断自体が彩華1226氏の勝手な決め付けだと思いますね。そもそも、プロジェクトにおける掲載基準が明確化されていないんですし。「主題と関わりが薄い配役リスト」というのも執筆者の主観ですから、それを示す論拠・出典も必要ですね。示されなければ存続という結論しかありませんと言わせてもらいます。--uaa会話2012年7月22日 (日) 12:18 (UTC)[返信]
上記Uaaさんのコメントから1週間が経過していますが、その間に彩華1226さんは他でご活動しているにもかかわらず、こちらへのコメントがございませんので、これ以上議論のご意思はないということでしょうか。ご返答がないようでしたら、本件は現状維持で終了させていただきたいと思いますが。--立花左近会話2012年7月29日 (日) 13:09 (UTC)[返信]
さらに1週間経ちましたが、コメントがございませんでしたので、本件は現状維持で終了とさせていただきます。今後、関連作品節より作品を除去しようと思われる方は、本ノートで合意を取ってから行うようお願いいたします。--立花左近会話2012年8月5日 (日) 14:16 (UTC)[返信]

「元の如し」の意味がわからないなら「元の如し」は使わないでください。

「元の如し」というのは「本来なら辞退すべきところを理由があって辞退しなかった」ときに使うことばです。近衛中将が三位に昇進すれば、当然に中将は辞退しますが、まれに辞退しないケースがあります。これを特に「三位中将」と言い「公卿補任」には「中将如元」と書かれます。歴史上の人物の履歴にやたらに「元の如し」を使いたい一群の人々がいるようですが、そのくらいのことは心得てから使ってください。「従三位に昇叙、枢密顧問官元の如し」ということは、枢密顧問官が従三位に昇叙されたら、当然に枢密顧問官を辞任しなければならない慣行があり、勝はその例外だったという意味になります。明治時代にそういう慣行がありましたか。あったのなら、出典を示してください。--124.27.73.190 2019年4月26日 (金) 11:50 (UTC)[返信]