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'''藤原 清岳'''(ふじわら の きよおか)は、[[平安時代]]初期の[[貴族]]。名は'''浄岡'''、'''清岡'''とも記される。[[藤原南家]]、[[参議]]・[[藤原乙縄]]の子。[[官位]]は[[従五位|従五位下]]・[[筑後国#国司|筑後守]]。
'''藤原 清岳'''(ふじわら の きよおか)は、[[奈良時代]]後期から[[平安時代]]初期にかけての[[貴族]]。名は'''浄岡'''、'''清岡'''とも記される。[[藤原南家]]、[[参議]]・[[藤原乙縄]]の子。[[官位]]は[[従五位|従五位下]]・[[筑後国#国司|筑後守]]。


== 経歴 ==
== 経歴 ==

2018年7月16日 (月) 09:48時点における版

 
藤原清岳
時代 奈良時代後期 - 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
別名 浄岡、清岡
官位 従五位下筑後守
主君 桓武天皇平城天皇
氏族 藤原南家豊成
父母 父:藤原乙縄
兄弟 清岳岡継
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藤原 清岳(ふじわら の きよおか)は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての貴族。名は浄岡清岡とも記される。藤原南家参議藤原乙縄の子。官位従五位下筑後守

経歴

天応元年(781年従五位下叙爵する。天応2年(782年)の氷上川継の乱、もしくは延暦4年(785年)の藤原種継暗殺事件に連座したらしく、官位剥奪の上で流罪となる。

桓武朝末の延暦24年(805年)に桓武朝で処罰を受けた罪人に対する赦免が行われ、藤原種継暗殺事件で罰せられた藤原雄依、氷上川継の乱で罰せられた山上船主らと共に入京する。翌延暦25年(806年)本位の従五位下に復す。

平城朝の大同3年(808年典薬頭、大同4年(809年筑後守に任じられている。

官歴

六国史』による。

系譜

尊卑分脈』による。

  • 父:藤原乙縄
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:藤原八釣

出典

  • 森田悌『日本後紀 (中)』講談社学術文庫、2006年
  • 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年