「審議拒否」の版間の差分

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== 日本 ==
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1960年代まで[[日本]]の[[国会 (日本)|国会]]では、[[一党優位政党制|一党優位]]の状態にあった与党[[自民党]]に対抗して政策決定に影響力を持つための手段として、野党が議場占拠など物理的に審議を妨害する手段をとった<ref name=sone>[[曽根泰教]], [[岩井奉信]]「[https://www.jstage.jst.go.jp/article/nenpouseijigaku1953/38/0/38_0_149/_article/-char/ja/ 政策過程における議会の役割]」『年報政治学』Vol. 38 (1987) p149-174</ref>。しかし、特に[[安保闘争]]時の混乱により「乱闘国会」と呼ばれるなどして[[世論]]に国会不信が生まれたため、与野党間での申し合わせが結ばれ、野党は議場占拠などの物理的抵抗をせず、自民党は[[単独審議]]や[[単独採決]]を行わないことになった<ref name=sone/>。1970年代以降、野党はその代わりに審議拒否を主たる対抗手段として使うようになった<ref name=sone/>。度を越した審議拒否は世論の離反を招くため、野党側にも自制は働く<ref name=ito/>。
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しかし、この流れは2009年の政権交代を経て2012年の自民党政権奪還以降変わった。「[[民主党_(日本)|民主党]]は自分たちが安定して政権運営を行えなかったくせに都合が悪くなると審議拒否する」という批判に晒されるようになった。さらに自民党の世襲体質を批判して「安倍首相や麻生氏は庶民感覚が足りない」と繰り返したために、「職場に出ないで給料満額貰える連中が一番庶民感覚から外れている」とも言われるようになった。[[Web]]の発展により、今まで非自民系政党の審議拒否を抵抗行動としてかばっていた[[マスメディア]]の報道を通さず「これはサボりだ!」とする意見が直接エンドユーザー間で飛び交うようになった結果、審議拒否をした野党は与党よりさらに支持率が落ちるというフローが完成してしまった。また、物理妨害を排除するための申し合わせだったにもかかわらず、度々暴力・乱闘行為が繰り返されたことが、「国会議員が暴力手段を取らないのは当然のこと」という有権者の認識とともにこれに拍車をかけた。さらには与党だけでの採決を容認する声も大きくなっており、国民の支持が得られる環境ではなくなった。


==意見==
==意見==

2018年4月17日 (火) 04:24時点における版

審議拒否(しんぎきょひ)は、議員が議論を放棄し議会に出席せず審議・審査に参加しないこと。審議放棄(しんぎほうき)ともよばれる。議会における圧倒的多数の与党に対抗する野党議事妨害戦術のひとつ[1][2]

日本

1960年代まで日本国会では、一党優位の状態にあった与党自民党に対抗して政策決定に影響力を持つための手段として、野党が議場占拠など物理的に審議を妨害する手段をとった[3]。しかし、特に安保闘争時の混乱により「乱闘国会」と呼ばれるなどして世論に国会不信が生まれたため、与野党間での申し合わせが結ばれ、野党は議場占拠などの物理的抵抗をせず、自民党は単独審議単独採決を行わないことになった[3]。1970年代以降、野党はその代わりに審議拒否を主たる対抗手段として使うようになった[3]。度を越した審議拒否は世論の離反を招くため、野党側にも自制は働く[1]

意見

2013年参議院の「国の統治機構に関する調査会」で高安健将は、参議院で「執政権力を不安定化させる問責決議や審議拒否」が問題となっており、「参議院と首相・内閣・衆議院の間で調整、譲歩」することが望ましいと示唆した[4]

2007年に天木直人はブログで、日本の野党がもし「審議拒否を貫く」のであれば「立派な国会戦術」であり日本の国民の支持は得られると示唆した[5]

脚注

  1. ^ a b 伊藤光利国会のメカニズムと機能- 一党優位制における議会-」 『年報政治学』Vol. 38 (1987) p129-147
  2. ^ 国会審議における野党の抵抗手段にはどのようなものがあるか。 2009/07/09 岡山県立図書館, レファレンス協同データベース
  3. ^ a b c 曽根泰教, 岩井奉信政策過程における議会の役割」『年報政治学』Vol. 38 (1987) p149-174
  4. ^ 議院内閣制における内閣の在り方― 国の統治機構等に関する調査報告 ―立法と調査 2014. 8 No. 355
  5. ^ 天木直人「辞職ごっこ」の裏で加速する日米軍事同盟 2007年2月7日

関連項目