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'''アルタバノス1世'''('''Artabanus I'''、ペルシア語:اردوان 、在位:[[紀元前2世紀|紀元前128年/127年]]頃 - [[紀元前2世紀|紀元前124年/123年]]頃)は、アルサケス朝[[パルティア王国]]の王。[[プリアパティオス]]の子。[[アルサケス2世]]をアルタバノス1世とした場合、'''アルタバノス2世'''となる<ref>デベボイス 1993</ref>。


== 生涯 ==
== 生涯 ==

2016年8月19日 (金) 17:57時点における版

アルタバノス
اردوان
アルタバノス1世
アルタバノス1世のコイン
在位 紀元前128年/127年 - 紀元前124年/123年
戴冠式 紀元前128年/127年

子女 ミトラダテス2世
家名 アルサケス朝
父親 プリアパティオス
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アルタバノス1世Artabanus I、ペルシア語:اردوان 、在位:紀元前128年/127年頃 - 紀元前124年/123年頃)は、アルサケス朝パルティア王国の王。プリアパティオスの子。アルサケス2世をアルタバノス1世とした場合、アルタバノス2世となる[1]

生涯

パルティア王プリアパティオスの息子として生まれた。

紀元前128年頃、フラーテス2世がサカ族との戦いで戦死したため、叔父であったアルタバノスが王位に就いた。アルタバノス1世も引き続きサカ族の侵入に煩わされた。サカ族はパルティアとの戦いで勝利を収めたため、パルティアを荒らしまわって祖国へ帰った。あるいはアルタバノス1世に貢物を贈ったため引き返した。すでにサカ族によってパルティア国土の大部分が占領されていたため、アルタバノス1世は別の遊牧騎馬民族であるトカラ族(トカロイ)[2]に対して戦争を仕掛けた。しかし、その戦闘で前腕に受けた傷がもとで紀元前124年/123年頃に死亡した。[3][4]

死後、息子のミトラダテス2世が王位を継承した。

脚注

  1. ^ デベボイス 1993
  2. ^ おそらく月氏族≪デベボイス 1993,p37≫
  3. ^ デベボイス 1993,p37
  4. ^ 合阪 1998,p439

参考資料

先代
フラーテス2世
パルティア王国の君主
前128年/127年頃 - 前124年/123年
次代
ミトラダテス2世