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兒説は、
兒説は、


{{quote|:;仁は心のみ。己が為にするの心有れば、則ち一言一色、皆な敢へて放ほしいままにせず。
{{quote|:;仁は心のみ。己が為にするの心有れば、則ち一言一色、皆な敢へて放ほしいままにせず。如もし諸心を事とせずして、以て言を為し、而して其の言を巧みにし、以て人の我を親しまんことを求め、諸心を事とせずして、以て色を為し、而して其の色を善くし、以て人の我を悦ばんことを求めば、則ち外を務めて内を務めず、人の為にして己が為にせず、此の心外に馳せて天理日に喪うしなふ、其れ仁有る者は鮮すくなし。}}
如もし諸心を事とせずして、以て言を為し、而して其の言を巧みにし、以て人の我を親しまんことを求め、諸心を事とせずして、以て色を為し、而して其の色を善くし、以て人の我を悦ばんことを求めば、則ち外を務めて内を務めず、人の為にして己が為にせず、此の心外に馳せて天理日に喪うしなふ、其れ仁有る者は鮮すくなし。}}


と言ったことでも有名。これは、[[論語]]に記されている[[孔子]]の言葉、
と言ったことでも有名。これは、[[論語]]に記されている[[孔子]]の言葉、

2014年4月4日 (金) 08:05時点における版

兒 説(げい ぜつ(えつ)、生没年不明)は戦国時代の思想家。の出身だが、に行き、稷下の学士の一人となった。白は色に名づけられた概念であり、馬は形に名づけられた概念であるからにして、白馬は二つの概念であり、一つの概念である馬とは別物だ、という白馬非馬説を唱え、稷下の学者を降参させたことで有名。兒説はいわゆる弁者であった。白馬非馬説は他に公孫竜によって唱えられたが、兒説のほうが少し先であった。

兒説は、

:;仁は心のみ。己が為にするの心有れば、則ち一言一色、皆な敢へて放ほしいままにせず。如もし諸心を事とせずして、以て言を為し、而して其の言を巧みにし、以て人の我を親しまんことを求め、諸心を事とせずして、以て色を為し、而して其の色を善くし、以て人の我を悦ばんことを求めば、則ち外を務めて内を務めず、人の為にして己が為にせず、此の心外に馳せて天理日に喪うしなふ、其れ仁有る者は鮮すくなし。

と言ったことでも有名。これは、論語に記されている孔子の言葉、

:;子曰く、 巧言令色、鮮すくなし仁。

という言葉から来たものであるらしい。

当時、関所では馬に通行税をかけていた。兒説は白馬に乗っていけば通行税を取られない、と思って白馬に乗っていったが、通行税を取られてしまった、という話がある。

参考文献

  • 陳舜臣 『中国の歴史2⃣ 大統一時代 漢王朝の光と影』 (東洋印刷/凸版印刷/大口製本印刷1986年)

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