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1950年に[[長崎県]][[佐世保市]]に生まれ |
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*[[1975年]] 熊本大学医学部卒業<ref name="asahi20050904"/> |
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*[[1982年]] 医学博士(熊本大学、学位請求論文『原発性免疫不全症患者末梢血リンパ球の病理病態学的解析 : 末梢血リンパ球のpokeweed mitogen,Epstein-Barrビールスでのin vitro刺激による免疫グロブリン合成』)<ref>[http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007530126-00 博士論文データベース]</ref> |
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===職歴=== |
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*[[1975年]] 熊本大学医学部付属病院第二内科入局 |
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*[[1980年]] 熊本大学医学部第二内科学講座助手 |
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*[[1983年]] 渡米、[[アメリカ国立癌研究所]]客員研究員<ref name="asahi20110215">2011年2月15日の朝日新聞朝刊23面</ref> |
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*[[1985年]] 同臨床癌プログラムCancer Expert(上級研究員) |
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*[[1989年]] 同プログラムSenior Investigator(主任研究員) |
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*[[1991年]] 同内科療法部門レトロウイルス感染症部部長 |
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*[[1997年]] 同退職、熊本大学医学部内科学第二講座(現血液膠原病内科)主任教授 |
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===研究概要=== |
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⚫ | [[アメリカ国立衛生研究所]]。1985年、世界初の[[HIV]]治療薬「[[ジドブジン|AZT]]」を開発した<ref name="asahi20110215"/>。同年にAZT開発について論文発表をしたが、アメリカでの特許は、実験に協力していたバローズウェルカム社が、満屋に無断で取得してしまった<ref name="asahi20110215"/>。満屋は同社が高価格でAZTを売り出したことに怒り、さらに新しいHIV治療薬の研究に励んだ<ref name="asahi20110215"/>。その結果、世界で2番目と3番目のHIV治療薬(「ddⅠ」と「ddC」)も満屋が開発した<ref name="asahi20110215"/>。なお、満屋がライセンスを企業に与える際には、適切な価格での販売を条件にしている<ref name="asahi20110215"/>。2007年、[[慶應医学賞]]を受賞した。 |
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== 脚注 == |
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2013年11月26日 (火) 01:52時点における版
満屋 裕明(みつや ひろあき、1950年 - [1])は、日本のウイルス学者。熊本大学医学部内科学の教授。HIV治療薬の研究で世界的に著名。
略歴
学歴
- 1975年 熊本大学医学部卒業[1]
- 1982年 医学博士(熊本大学、学位請求論文『原発性免疫不全症患者末梢血リンパ球の病理病態学的解析 : 末梢血リンパ球のpokeweed mitogen,Epstein-Barrビールスでのin vitro刺激による免疫グロブリン合成』)[2]
職歴
- 1975年 熊本大学医学部付属病院第二内科入局
- 1980年 熊本大学医学部第二内科学講座助手
- 1983年 渡米、アメリカ国立癌研究所客員研究員[3]
- 1985年 同臨床癌プログラムCancer Expert(上級研究員)
- 1989年 同プログラムSenior Investigator(主任研究員)
- 1991年 同内科療法部門レトロウイルス感染症部部長
- 1997年 同退職、熊本大学医学部内科学第二講座(現血液膠原病内科)主任教授
研究概要
アメリカ国立衛生研究所。1985年、世界初のHIV治療薬「AZT」を開発した[3]。同年にAZT開発について論文発表をしたが、アメリカでの特許は、実験に協力していたバローズウェルカム社が、満屋に無断で取得してしまった[3]。満屋は同社が高価格でAZTを売り出したことに怒り、さらに新しいHIV治療薬の研究に励んだ[3]。その結果、世界で2番目と3番目のHIV治療薬(「ddⅠ」と「ddC」)も満屋が開発した[3]。なお、満屋がライセンスを企業に与える際には、適切な価格での販売を条件にしている[3]。2007年、慶應医学賞を受賞した。