「ディック・ヨーク」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
龍伯 (会話 | 投稿記録)
→‎ダーリン役として: 一部、「奥さまは魔女」の記述に合わせて書き替え。
8行目: 8行目:


== ダーリン役として ==
== ダーリン役として ==
ヨークが俳優としてもっとも知られているのは、[[1964年]]からの連続ホームコメディ「[[奥さまは魔女 (テレビドラマ)|奥さまは魔女]]」での初代のダーリン・スティーブンスの役を通じてである。この番組の成功により彼は[[1968年]]に[[エミー賞]]にノミネートされた。ところ映画「コルドラへの道」の撮影で落馬し背中に損傷を負ったうえその苦痛を緩和するために薬物を乱用し、依存症を引き起こしてしまった。「奥さまは魔女」の第5シーズンを最後に社会復帰への訓練専念すために降板した
ヨークが俳優としてもっとも知られているのは、[[1964年]]からの連続ホームコメディ「[[奥さまは魔女 (テレビドラマ)|奥さまは魔女]]」での初代のダーリン・スティーブンスの役を通じてである。この番組の成功により彼は[[1968年]]に[[エミー賞]]にノミネートされているが、第5シーズンで降板ディック・サージェント交代している。


[[1959年]]に出演した映画『コルドラへの道』で落馬事故に遭遇し負傷、以来、ヨークは腰の激痛に悩まされるようになり、緩和させる目的で鎮痛剤を濫用し始め、本作撮影時はその副作用で情動が不安定になったり、ろれつが回らなくなる事もあり、既に薬物依存の状態だった。第5シーズンの撮影開始の頃には更に悪化。座っているシーンやソファーで横になっているシーンを増やして対応した。しかし、第6シーズンの撮影リハーサル中に突然倒れ、一時意識を失う事態が発生。治療と[[リハビリテーション|リハビリ]]のため降板となった。降板に近い時期のエピソードでは、「ダーリンは長期の出張中」という設定にされている。
ダーリン役の交については当時からいろいろな噂が飛び交っており、その一つとして「ヨークが、サマンサ役の[[エリザベス・モンゴメリー]]のわがままに耐えられなくなったから」というのが、日本でもまことしやかに通用していたという。その他に、「ダーリン役のイメージが強くなりすぎたのを嫌って降板した」とも言われていた。

ダーリン役の交については当時からいろいろな噂が飛び交っており、「ヨークが、サマンサ役の[[エリザベス・モンゴメリー]]のわがままに耐えられなくなったから」、「ダーリン役のイメージが強くなりすぎたのを嫌って降板した」など、まこしやかに語られていた。


== 献身 ==
== 献身 ==

2013年11月20日 (水) 03:37時点における版

前列左からダーリン役のディック・ヨーク、サマンサ役のエリザベス・モンゴメリー、後列にエンドラ役のアグネス・ムーアヘッド。「奥さまは魔女」より。

ディック・ヨークDick York1928年9月4日1992年2月20日)はアメリカ合衆国ラジオ声優ブロードウェイ俳優テレビ俳優。本名はリチャード・アレン・ヨーク(Richard Allen York)。

実力派俳優

インディアナ州フォートウェイン市に生まれる。シカゴで育ち、カトリック聖歌隊でその才能を最初に示す。15歳の時に、CBSのラジオ番組「ブリュースター・ボーイ That Brewster Boy」でスターとしての経歴を始める。100くらいのラジオショーや教育映画に出演した後、ニューヨークへ行き、ブロードウェイで「Tea and Sympathy」と「Bus Stop」の舞台に立つ。ポール・ムニジョアン・ウッドワードらとテレビ放送をつとめ、「My Sister Eileen」「Cowboy」(カウボーイ)「They Came to Cordura」(コルドラへの道)などの映画でジャネット・リージャック・レモンゲイリー・クーパーと共演した。

1960年の古典的な映画「風の遺産 Inherit the Wind」では、スペンサー・トレイシーフレデリック・マーチジーン・ケリーと伍して、進化論を教え学校を追放される若い教師バートラム・ケイツの役を演じた。さらに彼はケリーとコメディ「我が道を行く」に、そして現在では古典として知られる連続番組「ヒッチコック劇場」のなかでも「幌馬車隊 Wagon Train」「ミステリー・ゾーン The Twilight Zone」「ルート66」に出演し、テレビスターとしての地位を確立した。

ダーリン役として

ヨークが俳優としてもっとも知られているのは、1964年からの連続ホームコメディ「奥さまは魔女」での初代のダーリン・スティーブンスの役を通じてである。この番組の成功により彼は1968年エミー賞にノミネートされているが、第5シーズンで降板、ディック・サージェントに交代している。

1959年に出演した映画『コルドラへの道』で落馬事故に遭遇し負傷、以来、ヨークは腰の激痛に悩まされるようになり、緩和させる目的で鎮痛剤を濫用し始め、本作撮影時はその副作用で情動が不安定になったり、ろれつが回らなくなる事もあり、既に薬物依存の状態だった。第5シーズンの撮影開始の頃には更に悪化。座っているシーンやソファーで横になっているシーンを増やして対応した。しかし、第6シーズンの撮影リハーサル中に突然倒れ、一時意識を失う事態が発生。治療とリハビリのため降板となった。降板に近い時期のエピソードでは、「ダーリンは長期の出張中」という設定にされている。

ダーリン役の交代については当時からいろいろな噂が飛び交っており、「ヨークが、サマンサ役のエリザベス・モンゴメリーのわがままに耐えられなくなったから」、「ダーリン役のイメージが強くなりすぎたのを嫌って降板した」など、まことしやかに語られていた。

献身

仕事を失い破産して、所有していた建物まで手放すという困難に遭いながら、妻ジョアンと奮闘し、身体が回復したときには150ポンドも体重を増やして、歯のほとんどは無くなっていたという。ヨークの死後発表された妻の回顧録『The Seesaw Girl and Me』によると、彼が演技にふたたび興味をもち、俳優として復帰するまでにはさらに時間がかかった。「Simon and Simon」や「Fantasy Island」をふくめ、いくつかのゴールデンアワー・テレビ番組に出た頃には、増やした体重を減らすことに成功していた。

晩年は気腫のため、ミシガン州ロックフォートの小さな家で闘病生活を過ごした。彼自身も寝たきりの身でありながら、ボランティア団体を結成し、電話を使って政治家や有名人・一般人に呼びかけ、ホームレスを助けるための義捐金を募るなど活動に最後まで尽くしていた。

外部リンク