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'''今西錦司''' ('''いまにし きんじ'''、男性、[[1902年]][[1月6日]] - [[1992年]][[6月15日]])は[[生態学]]者、[[文化人類学|人類学]]者である。日本の[[霊長類]]研究の創始者として知られる。[[京都]]生まれ。[[1979年]][[文化勲章]]受賞。 |
'''今西錦司''' ('''いまにし きんじ'''、男性、[[1902年]][[1月6日]] - [[1992年]][[6月15日]])は、日本の[[生態学]]者、[[文化人類学|人類学]]者である。日本の[[霊長類]]研究の創始者として知られる。[[京都]]生まれ。[[1979年]][[文化勲章]]受賞。 |
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== 棲み分け理論 == |
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2006年3月6日 (月) 05:03時点における版
今西錦司 (いまにし きんじ、男性、1902年1月6日 - 1992年6月15日)は、日本の生態学者、人類学者である。日本の霊長類研究の創始者として知られる。京都生まれ。1979年文化勲章受賞。
棲み分け理論
初期の研究であるカゲロウの生態に関する研究を通じ「棲み分け理論」を提唱した。「棲み分け」は種同士の社会的関係を表す概念である。生物は互いに競争するのではなく、棲む場所を分け合い、それぞれの環境に適合するように進化していくというものである。
例えばカゲロウ類の幼虫は渓流に棲むが、種によって棲む環境が異なると同時に、異なる形態をしている。
- 流れが遅く砂が溜まったところに生息する種は、砂に潜れるような尖った頭をしている。
- 流れのあるところに生息する種は、泳ぐことに適した流線型の体をしている。
- 流れの速いところに生息する種は、水流に耐えられるように平たい体をしている。
このようにそれぞれが棲み分けた環境に適応し、新たな亜種が形成されると考えた。この理論がやがて、独自の「今西進化論」へと発展していった。
今西進化論
「今西進化論」によると、生物は「棲み分け」による新たな環境に適合するために外部形態を進化させてきたとされる。この進化論は自然淘汰や、瞬間的でないゆっくりとした進化を認めないためダーウィニズムと真っ向から対立するものとなった。今西進化論は実際にどのようなシステムで進化が起こるのか一切言及しなかったこともあり、広く受け入れられるには至らなかった。構造主義生物学を標榜する論者からは再評価がなされている。
ニホンザル研究
1950年代、今西錦司らが幸島(こうじま)および高崎山で野生ニホンザル群の餌付けに成功して以来、日本の霊長類研究は飛躍的な発展を遂げた。今西らはニホンザルの社会集団の存在を実証し、その構造や文化的行動について明らかにした。この研究は世界中から注目され、その後の霊長類研究の方向性に重大な指針を与えた。
その後アフリカの類人猿、狩猟採集民の調査を通じ、人間社会、人間家族の起源について研究を行った。