「アレクサンドリアのクレメンス」の版間の差分
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2012年4月20日 (金) 15:15時点における版
ティトゥス・フラウィウス・クレメンス(Titus Flavius Clemens,150年?-215年?)、あるいはアレクサンドリアのクレメンスは2世紀の人物で、初期キリスト教を代表する神学者の一人。エジプトのアレクサンドリアで活躍したため、この名で呼ばれるがエジプト出身ではなく、ギリシアのアテナイの出身と考えられている。ギリシア教父と呼ばれる一群の神学者の一人で、オリゲネスとならんでアレクサンドリア学派の代表的な神学者である。
生涯
生没年を含めてクレメンスの生涯についてはほとんど知られていない。しかし、彼の著作『ストロマテイス』の記述や流麗なギリシア語文体、ギリシア古典の深い知識などからアテネの裕福な家庭の出身で高等教育を受けていたことがうかがえる。クレメンス自身によれば、ギリシアを出て諸国を遍歴していてクレメンスはアレクサンドリアでキリスト教の教師パンタイノスに出会い、彼に学んだ。パンタイノスの死後、ディダスカレイオンといわれるキリスト教を教える学校を開いてそこで教えた。カイサレイアのエウセビオスは著書『教会史』の中で「オリゲネスもクレメンスに学んだ」と記している。セプティミウス・セウェルス帝の迫害のさなかにアレクサンドリアを離れ、カッパドキアに逃れたといわれている。
クレメンスが司祭であったかどうかも定かではない。エウセビオスはクレメンスが「長老」であったと記しているが、長老というのが教会における職階を意味するのか、単なる敬称なのかが定かではないからである。
思想的特徴
クレメンスの思想の特徴は、ギリシア哲学と文学がキリスト教へ人々を導くために存在したと考え、その思想的な遺産をキリスト教へ継承しようとしたことにある。これはプラトンとギリシア思想に精通したクレメンスならではの発想であり、特にロゴス=キリストであるとした「ロゴス・キリスト論」は、ギリシア思想とキリスト教神学を結びつけ、以降のキリスト教神学の発展に大きな貢献をするものとなった。
著作
現存する著作
- 『ストロマテイス』
- 『ギリシア人へのすすめ』
- 『教育者』
- 『テオドトス抄』
- 『救われる富者は誰か』
著作の日本語訳
- 『ストロマテイス』および『救われる富者は誰か』 秋山学訳 (平凡社『中世思想原典集成 第1巻』に収録)